第十七章  垣内家の変化

太一が急に元気になり、健吾が逆に落ち込んだ。
小学性から中学生の時代が男の子供にとっては最初の節目にあたる。
女の子の方は三年から四年成熟期が早い。
普通なら六才から七才頃が女の子の最初の節目なのだが、世間に晒されていないから、ほとんど影響を受けずに済む。
そして次の十四才から十六才、日本では中学生から高校生の頃に女の子の心身のバランスが崩れやすい時期がやって来る。女性の更年期障害が五十才前後で起こるのも、このサイクルに基づいている。
一方男の子は十才あたりに精神のバランスを崩す場合が多い。
ちょうど女の子とのサイクルが百八十度逆になっている。
健吾や、太一がちょっとしたことで情緒不安定になるのはその所為だ。
みんなが喜びや悲しみで泣いているのを見て、健吾は落ち込んでしまったのだ。
「健吾。さっきからどうしたんだ?」
太一が気にしていたのだ。
太一という少年は鷹揚な反面、繊細な面も持ち合わせている、所謂ナイーブな子供である。ただ鷹揚な面が表面に出るタイプだ。
一方、健吾も同じナイーブな少年だが、繊細な面が表面に出る子供だ。
だから、お互いの気持ちが良く分かるのだ。
だが、健吾も一皮剥けていたから、今までのように、「別に」という返事はしなかった。
「僕は、今まで泣いたことがない。みんな喜んで泣いているのを見て、ちょっと羨ましいと思っただけさ」
健吾の変わった点は、自分の気持ちを素直に表現出来るようになったことだ。
横で聞いていた恵津子が、感激して泣き出した。
みんなびっくりして恵津子の方を向くと、恵津子も素直に自分の気持ちを告げた。
「去年の夏休みに、健吾君が、太一君と佳代ちゃんが京都に行ってしまって仲間が二人きりになったのに、黙って軽井沢に行ったのが、わたしにはすごくショックだったの。
それで、あんなことをしてしまったの。後で知ったことだけど、健吾君がわたしを無視して軽井沢に行ったんじゃなくて、わたしの気持ちを引くためにわざと行ったことを聞いて、わたしの考え違いだったって分かったの。だけど今の健吾君は、素直に自分の気持ちを、わたしだけでなくみんなに言ってくれる。それが、わたしはとても嬉しいの」
その時、初めて健吾は胸に熱くこみあげてくるものを感じた。
健吾は気がついていなかったが、目が潤んでいた。
他のみんなは、そんな健吾に気がついていたが、誰も言わなかった。
「なんか胸が熱い感じがして、息苦しいから、ちょっと外に行ってくるよ」
健吾は、そう言って大野家の外に出て、手で目を拭いたら、手が涙で濡れていた。
「初めての経験だ!万歳!」
内心、健吾は嬉しくて仕方なかった。
その健吾の姿を、家から見ていたみんなも嬉しい想いだった。
「垣内家の一番の変化は、健吾が変わったことだよな、浩?」
太一が浩の胸を突くと、浩も「うん」と言いながら目を潤ませていた。
健吾は、去年の軽井沢の夏休みもそれなりに価値あるものと思っていたが、
それがこの一年間健吾を苦しめる結果になってしまった。
しかし、今年の夏休みは、爽やかな想いで終えることができた。
二年続けて充実した夏休みではあったが、今年は爽やかさが際立って感じられたのは一体どういう理由(わけ)だったのか、そこまで自分の心を見つめるには、まだ幼すぎた。
宿題報告会以来、みんなで集まって遊ぶことは、ほとんど無かったが、二学期の始業式で顔を合わせても、みんなの表情にはゆとりがあった。
恵津子の、いつもの上目がちな表情での笑い顔も、そこにはあった。
「そうだ!去年の始業式の時の上村の表情は、やはり違っていた。上目がちな表情の時が、普段の上村なんだ。あの時は、上目がちな表情ではなく、真っ直ぐ正面を見ていた。あの時、どうして気づかなかったのだろう」
そう思いながら、恵津子を見ていると、健吾の視線に気づいたのか、恵津子が寄って来て、また上目がちに笑いながら健吾に言った。
「健吾君。わたしのことを見ていたでしょう。どうして?別に?」
笑いながら、健吾の真似をする恵津子に、一段と親しみを感じるのだった。
「去年の始業式の時の恵津子ちゃんの表情を思い出していたんだ。いつもと違う表情に気づかなかった僕が間抜けだった。ごめんよ。だけど僕は、・・・」
あれ以来、急に涙もろくなっていた健吾の目が潤んだ。
恵津子は母性本能が強い女の子だけに、目を潤ませている、ましてや好きな健吾だから、抱きしめたい衝動に駆られた。
じっと我慢をしていた恵津子は、
「健吾君が軽井沢に行ったのは、何も言わなくても分かっているわ。わたしも、そのことを、あの時に気がついていれば良かったのにね」
と言いながら、健吾の顔を下から見て自分のハンカチで目を拭いてやった。
恵津子が出来る精一杯の健吾に対する想いの表現だった。
少し離れたところから二人のことを見ていた太一と佳代は、お互いの顔を見ながら、嬉しそうに笑っていた。
「健吾君、変わったわね。そう思わない、太一君?」
「うん、そうだな。あいつにあんなところがあるなんて、俺びっくりした!だけど上村と仲が戻って良かったよな」
太一も恵津子のことを好きだということを知っていた佳代は、自分が太一の男らしさにますます惹かれていくことに気づき始めていた。
「太一君。二学期はわたしと勉強の競争をしてみない?」
急に言われた太一は、びっくりした。
健吾や恵津子は、勉強はクラスでもトップクラスだが、太一や佳代は平均以下だった。
「わたしたちも、一所懸命やれば健吾君や恵津子ちゃんと競争できるかもね」
「おい、おい。俺は無理だよ。だって兄ちゃんたちはみんな小学校の成績は最低だったんだ。俺の方がまだましな方なんだから」
佳代は頑なに主張した。
佳代に言われると弱い太一は、「分かったよ、やるよ、やるよ」
「約束よ!二学期は一所懸命頑張って勉強するのよ」
今まで見たことのない、明るい表情の佳代だった。