第十三章  自然が教えるもの

太々神楽が終わって、一行が駒鳥山荘に戻ったのは、もう夕方の四時過ぎであった。
「先ほど、申し上げましたように直会(なおらい)と呼ばれる夕食は午後六時からですので、大広間に集まってください。それまでは自由時間といたします」
子供たちは、一日いろいろな行事で自由時間がなかっただけに、やっと解放された気分で、みんなで表に出て行った。
「太一。みんなで多摩川に行こうよ」
浩が太一に声をかけると、元気がない声で「うん」と返事が帰ってきた。
それを見ていた健吾は、浩の他人想いの優しさに胸が熱くなった。
西本二朗の時も、自分は関係なかったのに、健吾のことを想いやって二朗に喧嘩を売り、お陰で仕返しを受け大怪我をした。
今日の太々神楽で思いもかけない太一の一面が出て、落ち込んでいる太一のことを想って元気づけていることを健吾は重々承知していた。
「そうね、みんなで行きましょう」
佳代も、元気のない返事をした太一を見て、みんなに声をかけた。
健吾も恵津子も、ただ笑って頷くだけだった。
小学生の子供たち五人で多摩川に遊びに行くと言うので、太一の兄の浩が心配して、他の少年たちにも声をかけて総勢十六人で川にでかけた。
奥多摩湖は、関東の貯水池である小河内ダムをつくるために多摩川を堰止めてつくった人造湖だ。
以前は流れが急な川だったが、人造湖が出来てからは、穏やかな川にはなったが、水の透明度が落ちて、今では川底が見えないぐらいになっている。
洪水による被害がなくなった利点と交換に自然を汚すことになってしまっている。
「昔、この辺りにキャンプに来たことがありましたが、水の汚れは予想した以上のものですね」
栄一が政治家の武吉に言った。
「都内の道路渋滞を引き起こすために工事をやっているのか。と思いたくなるほど必要性のない無駄な工事に金を使うなら、自然を守る方にお金をまわしてもらいたいものですね」
「指摘されるまでもなく、政治家は分かっています。しかし政治家は何の決定権も持っていません。役人がすべてを握っているのです。わたしも政治家にはなりましたが、最近無力感を感じます」
「あなたが、そんなことを言っておられたら、この国は一体どうなるのでしょうか」
二人の会話はそこで止まってしまった。
たとえ濁った水の川であっても、子供たちは大喜びで、川の水をかけあって遊んでいた。
都会で育った子供にとっては、めったに経験できないことなのだ。
生き生きとした表情で遊ぶ子供たちを見て栄一と武吉は、身の引き締まる想いであった。
午後六時から、駒鳥山荘で夕食だが、この夕食がただの夕食ではない。
太々神楽を舞った神職に憑依した神が飲食した神饌や御神酒を頂く儀式で、これらの聖なる食べ物を頂くことで、神職が平常に戻ることを、「直つ合う」と言い、それが直会(なおらい)と呼ばれるようになった。
日本独特の神道は、他の伝来宗教の神の概念とまったく違って、神と言っても、元々は人間であり、我々の日本人の偉い先祖であるとしている。
要するに先祖崇拝信仰なのである。
従って、偉い地位の神さんもいれば、それほど大したことのない神さんもいて、位の高さがそれぞれ違うらしい。
位の高さによって、神さんを祀っている神社の社格も違い、一番位が高い神社が官幣大社と呼ばれ、天皇家の菊の御紋が許される。
現在では、旧社格と呼ばれているが、明治四年に神社規則というものが制定された時のものだが、大東亜戦争敗戦後の昭和二十一年に廃止され、それ以来旧社格と呼ばれるようになり現在に至っている。
その旧社格には官幣大社を筆頭に、官幣・国幣の大・中・小社のいわゆる官社と、それ以外の諸社とに別けられ、諸社には、府県社、郷社、村社そして無格社などがある。
全国にある神社の数は約十一万あり、官幣大社は六十二社、同中社は二十六社、同小社は五社。
別格官幣社が二十八社。
国幣大社が六社、同中社四十七社、同小社四十四社。
府県社は一千百四十八社。
郷社は三千六百三十三社。
村社は四万四千九百三十四社。
無社格が五万九千九百九十七社。
合計十万九千九百三十社が敗戦時にあったと言われている。
それらの神社の神職が必ず行うのが直会の儀式である。
子供たちは御神酒を飲めないが、大人たちが直会の御神酒を飲んで、みんな驚いた。
「このお酒は、気が抜けているようで、いくら飲んでも酔う気がしないな」
酒の好きな岩田武男が、びっくりしたようで、酒の飲めない栄一に飲むように薦めた。
酒が大の苦手の栄一は、はじめは躊躇していたが、長老の武男に薦められて断るわけにもいかず、御神酒を口にした。
「本当に、アルコールが抜けてしまったようですね。これなら、わたしでも飲めます」
横にいた神職が、「国常立尊(くにとこたちのみこと)様、大己貴命(おおなむちのみこと)様、少彦名命(すくなひこのみこと)様がお呑みになられた後のお酒ですから、酒の気はもう抜けているのが当然です」
神職の話を聞いていた大人たちも俄かには信じることが出来なかった。
「本当だわ。このお魚も、家で食べるのと違うわ」
恵津子は魚が好きらしく、味がすぐ分かると言う。
その夜、神社の宿坊で泊まった一行二十三人は、それぞれいろいろな想いを胸に刻まれた経験をした。