第十二章  太々神楽

翌日、一行は御岳山(みたけさん)の麓でバスを停めて、頂上まで登山するか、それともバスで頂上まで一気に上がるか、筆一から提案をされて、全員が登山することになった。
実は、みんなが登山する方を選ぶであろうことを、筆一は内心、見通した計画を立てていた。
千メートルを越す御岳山の頂上にある御岳神社は木曽の御嶽山(おんたけさん)の御嶽神社の関東分社である。
国常立尊(くにとこたちのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこのみこと)が祀られている。
いずれも出雲系の神々で、氷川キャンプ場の氷川という名も、関東だけにしかない氷川神社から来ており、やはり出雲の斐伊川(肥の河)から氷川になったと言われており、須佐乃男命とその夫人稲田姫、そして娘婿大己貴命(大国主命)が祀られている。
関東に出雲系の神々が多く祀られている神社が多いのは、坂東武者と言われるように武家の本拠地は武蔵の国であり、武家のルーツは出雲系の物部(もののべ)氏、海部(あまべ)氏、尾張氏、諏訪氏等がこの地を開拓したからである。明治天皇が即位した後、氷川神社を筆頭に多くの出雲系神社が創建されたのは不思議な話しである。
御岳神社には多くの謎がある。
赤塗りの社だったのが昭和五十年代に黒塗りに変えられた。遡れば元々が黒塗りの社であったことが判明したことからである。
黒塗りの社は、徳川将軍家の特別の神社に許されたもので、それが赤塗りに変えられ、しかも官幣大社でないのに菊の紋が許されている神社なのである。
そして江戸神楽から伝わった太々(だいだい)神楽と薪神楽があり、特に太々神楽は江戸の真っ先稲荷から伝わる、元々は出雲神楽の流れを汲むもので、この神社に参る際の最も高級な参拝の仕方である。
この太々神楽を経験出来ることを筆一から説明されて、みんな感激した。
宿坊の駒鳥山荘に荷物を置いて、一行が頂上に向かおうとすると筆一が慌てて言った。
「みなさん、ちょっと待って下さい。太々神楽にはしきたりがありまして、神楽舞いをして下さる神職さんが、ここへやって来て、まずお祓いをしてもらいます。
それから山へ登るのですが、途中で、わたしが用意しましたお餅をあっちこっちに撒きながら頂上の神社まで登るのです。
そして神社に着くと、祭典と言いまして神さまに食べものを奉納して参拝します。
その後、いよいよ太々神楽が始まるので見て頂いて、その日は、この宿坊で直会(なおらい)といって要するにみんなで一緒に食事をして泊まるのです。
これが太々神楽のしきたりです。分かりましたか?」
子供たちは、何が何だかさっぱり分からない様子だったが、「さすが、世話役をしてくださるだけに、良くご存知ですね」と岩田武男夫人が筆一のことをしきりに感心していた。
宿舎になった駒鳥山荘で御岳神社の太々神楽を舞う当番の神職がやって来て二十三人のお祓いをしてくれた。
「おい健吾。お前何をお願いしているんだ?」
太一が健吾の足をつついて聞いてきた。
健吾と浩が口に指をつけて、太一に無言の合図を示した。
太一は浩も健吾と一緒になって、いい子でいるのにびっくりして、「ちぇ!」と言って黙ってしまったが、少し寂しそうな表情だった。
お祓いが終わって、御岳山の麓で、筆一からもらった餅をみんなが数個ずつ持って神職の後をついて頂上に向かって歩きだした。
途中で神職が合図をすると、みんなが餅をまわりに投げるのだ。
それを他の人たちが拾って持ち帰ると、その人にもご利益があるらしい。
以前は、餅だけではなく、お金も投げたらしい。一種の賽銭と同じである。
約一時間のハイキングの気分で、珍しさもあってあっという間に頂上に着いてしまった。
御岳神社の鳥居をくぐって、拝殿の前で軽く参拝をした一行は本殿に上がった。
いよいよ太々神楽が始まる。
神楽の起源は古事記や日本書紀に書かれてあり、元々は「神座(かむくら)」から来ている。
古事記や日本書紀によれば、皇祖神である天照大神(あまてらすおおみかみ)が天の岩戸に姿を隠した時、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が上半身裸になって舞ったのが神楽の始まりであると書かれている。
しかし、これはあくまで神話であって、実態は先祖に対して、農耕を営んできた当時の日本人が五穀豊穣を祈願するのが主眼であった。
「座(くら)」とは亡くなった神様を埋葬する場所のことを言う。
だから神社でいう神様とは人間の偉い先祖さまのことで、他の宗教で言われている神の概念とは違う。
「元人間なのである」
どこで、どういう風に伝来していったのか、諸説があるらしいが、神楽は出雲地方特に石見地方で始まり、東へ伝わり江戸神楽となっていった。
江戸神楽は、正式には江戸太(だい)神楽と言って、御岳山の太々神楽と同じ語源である。
江戸太神楽の最もよく行われる演目が「岩戸」や「ヤマタのオロチ」であることからも出雲神楽の流れを汲んでいることが分かる。
「今日の演目はヤマタのオロチです」
神職が言って、神楽が始まった。
太々神楽は一切言葉を発しないで、ただ笛と鼓(つづみ)だけで舞う。
ヤマタのオロチが獅子舞の格好をして出て来た。
そして太一の前で、大きな口を開けてパクパクとやり出した。
「うわあ!」と叫んで、太一は急に泣きだした。
「お母ちゃん、怖いよう!」
あの太一が母親の胸に飛び込んで泣いたのだ。
誰も声を出さなかったが、太一の思いがけない一面を見て内心びっくりしていた。
神楽が終わるまで、太一は母親に抱かれたままでいる、思わぬハプニングの神楽であった。
「太一にも、怖いものがあったんだなあ」と健吾が佳代に言うと、佳代は半べそをかきながら、「太一君、かわいそう」と言った。
佳代の言葉に、健吾は何か分からないが不思議な響きを感じた。