第八章  恵津子の変心

太一が二学期から京都の佳代の通う小学校に転校して行った。
太一の母親は他の子供たちがいる東京に残らなければならなかったから、太一はまだ九才なのに単身で見知らぬ京都に行かなければならなかった。
太一が東京を発つ日、新幹線のプラットホームまで健吾と恵津子が見送りに来たが、太一は、淋しさよりも、新しい地での生活に希望を持っている様子で表情も明るかった。
逆に健吾と恵津子は、何となくいつもと違った様子で、太一と佳代が乗った列車がプラットホームを離れた直後にその兆候(きざし)がはっきりと顕れた。
「垣内君、わたし先に帰るわ。じゃあ」と、恵津子はいつもの上目づかいの表情ではなく、正面を見据えた表情をして、はっきりとした口調で言い、一緒に来ていた母親と先に去って行ってしまった。
敏感な健吾は、恵津子の心に何か変化が起きたことを知ったが、何も言えなかった。
翌日から、学校で恵津子と顔を会わしても、彼女は言葉すら発しなくなってしまっていた。
もともと学校一の人気者だから、いくらでも遊ぶ友達はできる。
新しい友達と楽しそうに遊んでいる恵津子の姿を見ると健吾は、ますます落ち込んだ。
家に帰っても元気のない健吾のことを最初に気づいたのが正一だった。
夏休みの間中、ずっと一緒だったから健吾のちょっとした変化にすぐ気づいた正一は、母親の春子に言う前に直接健吾に聞いてみた。
「健吾、お前軽井沢から帰ってから様子がおかしいけど学校で何かあったのか?」
「別に」これが健吾の口癖である。
「お前が『別に』と言ったときは、必ず何かあったときなんだ」
さすが正一は鋭く健吾の胸の内を見抜いていた。
「別に」また健吾は悪い口癖をだしてしまったので正一はそれ以上聞かなかった。
少年の頃の淡い恋心というのは、自分自身の人格形成が確立されていないから、しっかりした柱のない、脆弱なものだ。
だから、常に想い続けるほど夢中になっている相手でも、ちょっとしたきっかけで瞬間に嫌になってしまうことがよくある。
また、そうなった気持ちにも気がつかずに残酷な仕打ちを相手にしてしまうものだ。
だから初恋というものは成就しないのだろうか。
恵津子は、最初の健吾の無愛想な態度が他の生徒たちとまったく違うところに魅かれていた。
一種の無いものねだりだ。
ところが一ヶ月以上の夏休みの間、恵津子を放っておいたことが、ここで噴出した。
健吾が夏休みに敢えて軽井沢に行ったのは、恵津子に対する気持ちの反動であったことなど恵津子に理解できるはずがない。
恵津子の気持ちを引くために軽井沢に行ったのだが、それが仇になってしまった。
大人の恋ならば、それを確かめる理性と経験があるが、小さな子供には、そういった理解力がまったくと言っていいほどない。
恵津子と夏休みに、精一杯遊んでいれば、恵津子の変心はなかっただろうが、もはや手遅れで、一旦変わってしまった心を取り戻すのは不可能だ。