第六章  太一の初恋

恵津子はみんなの人気者というより憧れの的であった。
それを健吾が知ったのは、太一の告白からであった。
「俺、上村のこと好きなんだ」
太一らしくない、殊勝な表情で打ち明けられた健吾は複雑な気持ちだった。
恵津子の夢を見て以来、態度に表わさないが恵津子のことを意識し始めている自分を持て余していた。
太一から先に恵津子のことを言われて、ますます健吾は恵津子のことを口に出せなくなってしまった。
夢とは不思議な力を持っている。
今まで意識もしていなかった人間の夢を見て、その夢が良い夢ならその人間に対して良い印象を持つようになり、悪い夢を見ると悪い印象を持つ。所詮、リアルでない夢なのにリアルな世界にまで影響する不思議な力を持っているのが夢だ。
リアルだと思って生きているこの世界もひょっとしたら夢の延長線のことかも知れない。いやひょっとしたら、実は夢がリアルな世界で、目覚めて生きているこの世界が夢なのかも知れない。
健吾は、夢でのことが半分リアルになっていた。そこへまた同じ場面がリアルな世界で起きた。
「さようなら!垣内君」と言って走り去った恵津子は、夢の中でも、現実の中でも、上目づかいの微笑みを健吾に投げかけていた。
夢で半分、現実で半分、健吾の無意識の中では完全にリアルになっていたのだが、健吾にそのような自己分析をする能力も経験もない。
健吾の心のある部分で渦巻きのように暴れ狂う、理由(わけ)の分からない怪物が初めて顔を出したのであった。
「おい、健吾。聞いてんのかよ!」
太一の声で我に戻った健吾は、「ああ、聞いてるよ」と言うだけでまた黙ってしまった。
太一がいらいらしながら健吾の横で立っていると、
「さようなら!上村君、谷山君」と恵津子が笑って通り過ぎて行った。
太一は歓喜の表情で健吾の足を蹴った。
「何するんだよう、太一!」
健吾はやっと我に戻って太一に叫んだ。
「おい、上村が俺の名前も言ってくれたよ!」
30メートルほど先を早足で歩いている恵津子の姿を見た健吾は、太一の言ったことを思い出した。
「よかったな、太一。上村が、お前の名前も言ってくれて」
そう言ったものの、健吾は内心で「ちくしょう!」という気持ちが湧いていることに気付いた。
そんな健吾の複雑な想いも知らない太一は、跳び上がって喜んでいた。
「太一は、思っていることを何でも言ったり表現できて、いいなあ」
健吾は自分の性格がつくづく嫌になるのだった。