第二章  太一退学処分

二年生になってクラス替えが行われたが、太一も隣の机の佳代もまた同じクラスになった。
川端先生の「産休」の意味も分かり、どうして赤ちゃんが出来るかも知った健吾と太一はますます仲良くなっていった。
一方、川端先生から男の工藤先生に代わったことが原因で、太一の乱暴がまた始まったのだが、乱暴の質が一年生の頃と変わっていた。
佳代をいじめていた太一は今では逆に味方になって、佳代をいじめる連中に乱暴を働きだしたのだ。
工藤先生のところに、太一にいじめられた生徒たちの親が抗議にやってきたのだ。
その時、親の後ろに隠れるように、太一に乱暴された子供たちも一緒にいた。
「工藤先生。何とかして下さい、あの谷山太一という子を。それでないと私たちここにいる者は、みんな転校させてもらいますよ。ねえ、みなさん?」
十五人の母親が団体抗議にやってきたのだ。
その中でボス格の母親がいた。
最近の母親連中は、派閥をつくるらしく、必ずボスがいる。
派閥をつくる母親たちの夫は百%大企業の会社員で構成され、特に商社、銀行に勤めている者が多い。
自営業をしている家庭の主婦は、彼らから軽く見られて相手にされないのだ。
もちろん、自営業の家庭の母親たちは虚栄の塊の彼らと所詮そりが合わないから、彼らに近づこうとしない。
朝の登校時、彼らが子供を送る光景を見ていると、何か日雇い労働者が仕事をもらうのを待って、たむろしている姿とラップする。それが女だというだけで、まるで猿山のボス猿に媚を売る子持ちの母猿そのもので、およそ人間の顔付きとは思えない。
商社や銀行は、扱う商品が無形のものだから、社員そのものが商品になる結果、商品の目利きによって出世が決まる。社内でお互いに権謀術数を駆使して、同僚を陥れようとやっきになる哀しい職業である。
そういう家庭で育った子供たちは悲劇である。
両親揃ってスパルタ教育をやるから、子供たちは息を抜く暇がない。もうすでに小学生高学年で息切れしている。
その根源が、こういった子持ち母猿たちだ。父親もそれを当然だと思っている。
「分かりました。谷山君のお母さんに来てもらって、わたしから話をします」
工藤先生も計算高い。こういう母親たちを敵にまわすと厄介で、味方にすると、こんな便利な連中はいないということを知り抜いていた。
「わたしたちの子供が辞めるか、あの子が辞めるか、分かっていますね、工藤先生?」
と急に慣れなれしい口調でボス格の母親が言うと、工藤先生はぺこぺこ頭を下げた。
「谷山さん。お宅の太一君を、これ以上学校に置いておくことは出来ません」
急に学校に呼び出された太一の母親は仰天して言った。
「退学ということですか?」
「そうです」工藤先生は口を真一文字にして言った。
「だけど、工藤先生。ここは義務教育の小学校ではないのですか?そこを退学されたら、一体どこへ行けばいいのですか?」
と、太一の母親は泣きそうな顔をして言った。
「私立の小学校に行けばいいのでは?」
冷酷非情な口ぶりで工藤先生は言った。
「わたしのところは貧しい家庭です。そんな小学校に行くのに、高いお金を払って行かせる余裕なんてありません」
「とにかく、決まったことですから」
まったく取り合う暇も与えない態度だ。
肩を落として教員室を出た母親を、太一と健吾、佳代が、心配そうに待っていた。
その時、太一の母親が涙を流していた姿を、健吾と佳代は一生忘れることが出来なかった。
一年のとき、あれだけ太一にいじめられていた佳代だったが、今度は佳代をかばう余り、いじめる連中に乱暴をはたらいて退学になりそうになっている太一に対して寡黙な佳代が行動した。
大野佳代の父親は大野武吉という、代議士をもう二十年も続けている大物政治家であった。
しかし佳代は、そのことを一言も言わなかった。
健吾や太一には分からなかったが、健吾の父・栄一が佳代のことを健吾から聞いて調べた。
その夜、栄一はめずらしく健吾を呼んだ。
「健吾。明日、太一君と佳代ちゃんを家に連れてきたらどうだ。太一君のことで、お父さんも相談にのってあげよう」
父親から声をかけてもらうことなどほとんどなかっただけに、太一のことを気にかけてくれたことが健吾には嬉しくて、すぐに太一と佳代のところに電話をした。
「ほんとうかよ、おまえんちのおじちゃんが、俺のことを心配してくれてんのか。うん、おまえんちへあした行くよ」
太一の声が湿っていたのを健吾は感じていた。
「ええ、いいわ。太一君が学校を辞めさせられないためなら」
佳代もよほど太一のことが気になっていたようだった。
「健吾。佳代ちゃんと電話しているのか?それならちょっと、お父さんが佳代ちゃんと話したいことがある」
栄一がそう言って受話器を健吾から受けて、佳代となにかぼそぼそと話をしていたが、健吾には理解できなかった。
翌日、学校へ行くと佳代が既に席に座っていた。
「おはよう、佳代ちゃん。きょうは早いじゃんか。昨日は電話でぼくのお父さんと、どんな話をしたの?」
健吾は気になっていたので、真っ先に聞いてみた。
「ううん、べつに・・・」と言う佳代だったが、もともと寡黙な佳代だけに健吾もそれほどひっかからなかった。
さすが太一は授業がはじまる寸前にやって来て、何も言わずに座っていた。
工藤先生が入って来た。
「おはよう!」と大きな声で言う態度がいつもと違うのを健吾は見逃さなかった。
元来、愛想の悪い工藤先生が、今朝は顔が笑っている。
一日、こんな調子で授業が続き、昼休みには太一が健吾のところに来て、
「おい健吾、あのハニワ何か様子がおかしいなあ」
と言った。
ハニワとは太一がつけたあだ名だった。
目が細く、のっぺりとした顔の工藤先生につけたあだ名で、工藤先生もそれを知っていたので、太一に不快感を持っていた。
「太一、おまえもそう思っていたのか?僕もそう思ったよ」
と、健吾と太一がしゃべっている横で佳代は黙っていた。
授業が終わった直後、
「谷山君、ちょっと職員室まで来るように」
工藤先生がそう言って教室を出ていった。
太一の顔が曇った。
「いよいよかなあ」
健吾も心配になって太一に言った。
「うん、そうかもなあ」
職員室に入って来た太一に、
「谷山君、ここに来て」
と、笑いながら手招きする工藤先生の態度に不気味さを感じながら、太一は言われる通りにした。
「谷山君。今回は校長先生に、特別に君のことを許して頂くように私から頼んでみた。校長先生も心よく了解して下さったので、君は辞めなくてすんだよ」
気持ち悪いほど愛想のいい工藤先生に、太一は子供ながらにも違和感を持った。
教室に帰って来ると、健吾と佳代だけが、心配そうに待っていた。
太一が、ことの仔細を二人に話すと、
「やった!」と佳代が叫んで飛びあがった。
健吾と太一は今まで見たこともなかった佳代の喜びように、ぽかんとしていた。
佳代は、健吾の父親の栄一との電話のことを思い出していた。
栄一が佳代に聞いた。
「佳代ちゃんのお父さんは毎日帰って来るかい?」
佳代は黙っていた。
「お母さんはいるかい?」
「はい」
と佳代は答えた。
「お母さんに代わってくれる?」
「もしもし、佳代の母ですが」
栄一は失礼も顧みず、単刀直入に聞いた。
「もしもし、今晩は。垣内健吾の父で垣内栄一と申します」
電話の向こうで驚いた様子が栄一には分かった。
「健吾ちゃんのお父さんでいらっしゃいますか。これは、どうも。佳代がいつも健吾ちゃんに仲良くしてもらって、ありがとうございます」
「佳代ちゃんは、家でもあまり喋らないのですか?」
「いいえ、家ではよく喋ります。どうしてですか?」
「やはり!」と栄一は思った。
「学校では、めったに喋らないお子さんのようです。それで健吾と太一君が、佳代ちゃんがいじめに遭わないように守っているようです」
栄一の話に、佳代の母親はショックを受けた様子だった。
そこで栄一はズバリ聞いた。
「お父さんは、いらっしゃいますか?お父さんは政治家の大野武吉さんですね?」
「どうして、それをご存知なのですか?」
佳代の母親は島田美佐子という名であることも栄一は知っていた。
「わたしのやっている事業の関係で、何度かお会いしたことがあります」
「そうですか。それで何と言っておりましたでしょうか」
美佐子は観念した様子だった。
「別に何もわたしは聞いておりません。ただ、つい最近お会いする機会があって、わたしの住んでいる場所を申し上げましたら、大野先生から事情を明かされたのです。ものすごく気にかけていらっしゃいましたよ。正直申しあげまして、最近の、形だけの夫婦より、あなたはいい伴侶を持たれていると断言できるほど立派なお方です」
黙って聞いていた美佐子だったが、栄一の言葉に勇気づけられたのか、口を開いた。
「実は今、おります」
「やはりそうですか。わたしはそう思って佳代ちゃんに健吾から電話をするように言ったのです」
「あのう、替わりましょうか?」
「ええ、出来れば」
電話の向こう側で美佐子が武吉を呼んでいるようだった。そしてちょっと話をした後、武吉が電話に出た。
「もしもし、垣内さんですか。これは、また不思議な縁で。佳代があなたのお子さんと同級生だとは驚きました」
栄一は佳代の学校でのこと、そして健吾と太一が佳代と仲良しで、今直面している問題を説明した。
「分かりました。明日、佳代にわたしの手紙を学校に持たせます」
それを聞いた栄一は、
「それは、ちょっとまずいのでは?」
と言ったが、武吉は平然と言った。
「別に世間に知れても構いません。だから、あなたにも話したのです」
栄一は「今どきでも、こんな気骨のある政治家がいるのだな」、と思うと嬉しくなるのだった。
太一の処分が「注意」だけで終わったのを不満に思った母親連中が、翌日、何と父親も一緒で抗議しに校長のところへ押しかけてきた。
「校長先生、この処分は合点がいかないわ。それでは我々の子供たちは泣き寝入りしろと言うの」
例のボス格の母親が、礼儀を無視した乱暴な言葉遣いで言った。
「そうだ、あの乱暴者の太一とかいう奴の方につくなら、あんたも同罪だ。いい加減にしろよ!」
ボス格の母親の旦那らしいのが、これもまったく口の利き方も知らない口調で言った。
さすがにカッときた校長が、その父親に聞いた。
「あなたは?」
「俺は、これの連れだよ」
とブスッとして言った。
「ご職業は?その乱暴な口の利き方からして、あまりいいご職業ではなさそうですね。それでないと、初対面のわたしに対して、ちょっと失礼ではないでしょうか」
校長も、切れたらしい。
「何を言ってるんだ、俺は、極東商事の課長をしてるんだ。お前さんこそ失礼じゃないか!」
「わたしは、何もあなたの勤めている先の名前を聞いているのではありません。あなたの職業を聞いているのです」
校長の言っている意味が分からないらしい。
日本では、職業を聞かれると、どういう仕事をやっていると答えないで、どこの会社に勤めていて、所属している組織名をまず言う慣習がある。
しかし、世界の常識では、そういう返事をすると奇異に思われる。
まず、自分のやっている仕事の内容を言うのが常識なのだ。
車の営業をやっているとか、経理の仕事をやっていると答える。
ところが日本の場合、人口の半数近くが会社員のため、まず会社名を言う。特に大企業に勤めていると、それを言うことで自己のステータスが高いと勘違いしている。
だから、とにかく名刺を出すのが好きだ。
その父親も、校長に名刺を出して、これ見よとばかりにそり返っている。
「実はうちの学校に大野佳代ちゃんという生徒がいます。その佳代ちゃんが、あなた方のお子さんたちにいじめられているのを見た谷山太一君が、大野佳代ちゃんを守るために、いけないことですが乱暴を働いたようです。大野佳代ちゃんが、実は昨日、こんな手紙を工藤先生のところへ持って来て、わたしもそれを見て判ったのです」
と言って校長は、その手紙を、その父親に渡した。
手紙を読んでいた父親が顔面蒼白になった。
「あんた、どうしたのよ!」
その父親の連れというボス格の母親が言った。
「お前、もう少し丁寧に話しなさい」
急に態度が変わって喋る旦那に、戸惑ったボスの母親が手紙を取って読みだした。
みるみるうちに、その母親も態度が変わっていった。
「大野佳代ちゃんの父上が、そこに書かれておられるように佳代ちゃんの証言を下に、あなた方のお子さんが佳代ちゃんにしたいじめを、親のあなた方相手に訴えると言っておられますね。大野佳代ちゃんのお父上は、政治家の大野武吉さんです」
校長の話を聞いた彼らは全員、驚愕のどよめきとなって、お互いあとずさりをした。
「ちょうど、あなた方の名刺を頂きたいと思っていたところだったのです。大野さんが、あなた方の名刺を貰っておいて欲しいと手紙の中で言われてますね」
もうパニック状態になった彼らは、今度は仲間同士でもめだした。
「なんで、こんなことに俺まで巻き込むんだよ!こんなことが表沙汰になったらえらいことになるじゃないか!」
偉そうな態度をしていた極東商事の父親がボス格の母親を罵った。
「何言ってんのよ!あんたがついて来ると言ったからじゃないのよ!」
あきれた校長が、
「申し訳ありませんが、夫婦喧嘩ならお家でやって頂けないでしょうか。とにかく大野さんから、手紙での正式の申し入れですので、みなさんのお名刺を預からせて下さい。別に名刺を頂かなくても、こちらで分かりますが」
総勢三十人の父兄が校長室の中で、名刺を出して、何かを書きだした。
そしてその名刺を校長に、頭をぺこぺこしながら差出し、ボス格の母親の旦那がつくり笑いをしながら言った。
「校長先生、ひとつよろしくお願いいたします」
「分かりました。それではお引きとり下さい」
みんながぞろぞろ肩を落として出て行った。
校長も、椅子にどっかと座って、フッとため息をついた。
名刺には、こう書いてあった。
「二度と自分の子供にいじめをさせないよう、親として誓います」