第一章  何故赤ちゃんが生まれる

そして、半年が過ぎた。
健吾が二年生に上がるとき、健吾も太一も、当然、川端先生のままだと思っていたら、クラス替えがあって、違う担任の先生に代わったのだ。
工藤先生といって、男の先生だった。
「川端先生は?」と二人は新しい担任の先生に聞いた。
「川端先生は、一年間、学校を休まれるんだ」
びっくりした二人は、新しい担任の先生の両腕をひっぱって、
「何故、川端先生が休んで、工藤先生になるんだ!何か川端先生にいたずらをしたんだろう」
小学一年の子供が二人で大人の先生を引きずりまわした。
「君たち、何をするんだ!川端先生は一年の産休なんだ!」
「産休?」
「産休って何だ?」と太一は工藤先生に凄んだが、所詮子供だ。
工藤先生は、やっと落ち着いて、笑いながら言った。
「君らには、まだ分からないなあ。家に帰って、お母さんに聞きなさい」
二人は帰り道で、頭をかしげながら、
「健吾、お前、お母ちゃんに聞くつもりかよう?」
太一が不安そうに聞いてきたが、健吾は「うん?!」と言ったままだった。
健吾が家に帰ると、母親の春子が待っていた。
「健吾ちゃん、太一君から電話があったわよ。何か興奮しているみたいだったから、電話してあげなさい」
「多分、川端先生の産休のことだろうな」と内心、健吾は思いながら受話器をとって太一の家に電話をした。
「健吾か!」
と受話器の向こう側で、まわりに聞かれまいと、囁き声で太一が言った。
「どうしたんだ?川端先生のことだろう?」
「そうだ、そうだ。お前、赤ちゃんがどうして生まれるか知ってるか?」
急にとんでもないことを聞かれた健吾は、
「そんなこと知らないよ。考えたこともなかったから」
受話器の向こう側で、黙ってはいるが、太一が興奮しているのが分かる。
「太一、何を興奮してるんだよ?どうして赤ちゃんが生まれるか分かったのかよ!」
太一はまだ黙ったままだった。
「結婚したら、赤ちゃんが生まれるんだろう?」
「俺も、今日までそう思ってたんだけど」
「違うのかよ?」
「うん、結婚したら赤ちゃんが生まれるのは本当だけど、そしたら結婚したら赤ちゃんが勝手に生まれるのかよ?お前そう思ってるのか?」
健吾はそこで初めて気がついた。
結婚するということは、今まで結婚式をあげることと思っていた。そして、結婚式をあげたら、お嫁さんのおなかの中に勝手に赤ちゃんができてくるもんだと健吾は、漠然とだが思っていた。
「お父ちゃんと、お母ちゃんが夜にベッドの中で、裸になってくっつくと赤ちゃんが生まれるんだってよ」
「なんで、裸になってくっつかないと駄目なんだ?」
健吾はさっぱり分からなかった。
「そんなこと知るかよ!お兄ちゃんがそう言ってた」
太一には、たくさんの兄弟がいて、太一は一番下だった。一番上の兄は、もうすでに結婚していた。
そして、家庭の貧しさが子供心を歪め、他の兄たちも悪さばかりしていることで有名だった。
子供であるが故に、まだ知る必要もないこと、知ってはいけないことが世の中にはたくさんある。
しかし、世の中がゆがみ、ひずみ、退廃してくると、こういった良識的なことまで崩れていくものらしい。
太一の家では、その良識がすでに崩れていた。それは貧しさ故であった。
こういったことは、日本では従来、中学校に入ると保健・体育の先生が、男女分けて授業の中で教えていた。もちろん、ませた子供たちは、その前に知っていたが、大半は知らないまま、先生に教えられて少なからずカルチャーショックを受ける。
小学二年のふたりが知るには、あまりにも刺激が強すぎる。
太一は、そのショックで興奮していた。
「お前、お母ちゃんに聞いてみろよ」
太一は、兄からそれ以上のことを聞かなかった。しかし、疑問がどんどん湧いてきて、健吾の母親に聞けという。
「ああ、いいよ、聞いてみる」
健吾は安易に答えた。
「じゃあ、分かったら、電話してくれよな」
と言って太一は電話を切った。
「お母さん。どうして赤ちゃんは生まれるの?」
春子に聞いた健吾は、春子の動揺している表情を見て後悔した。
動揺した表情の春子に健吾は、はっきりとした理由は分からなかったが、母親を困らせることを聞いてしまったと思ったのだ。
しかし春子は、すぐに気持ちを切りかえて健吾に笑いながら言った。
「健吾ちゃんを産んだのは誰?」
「もちろんお母さんでしょう?」
「それなら、お父さんは何をしたから、お父さんなの?」
健吾には、難しい質問だったが、健吾は必死に考えた。
「そりゃあ、お母さんと結婚したからでしょう?」
「健吾ちゃんは自分の部屋で独りで夜寝ているでしょう?」
「うん、そうだよ」
「お母さんとお父さんは、どう?」
「一緒の部屋で寝ている」
「結婚したらお母さんとお父さんが一緒の部屋で寝るのは、赤ちゃんをつくるためなのよ」
太一が言っていた「裸でひっつく」と言う言葉を健吾は、何故か出せなかった。
黙っていた健吾が、まだ納得していない様子だったので、春子は言った。
「お父さんが、赤ちゃんが欲しいと思うとね、お母さんしか赤ちゃんを産めないから、お父さんがお母さんを思いきり抱きしめて、そしてお祈りをするの。お母さんのおなかの中に赤ちゃんをくださいってね」
なんとなく健吾は納得した。
「そうすると僕の時も、お父さんは、僕をお母さんのおなかの中にくださいって祈ったの?」
「そうよ、そのお祈りで健吾ちゃんが生まれたのよ。お父さんが健吾ちゃんを欲しいと思ってお祈りしてくれないと、いくらお母さんだけが思ってもできないの。だから健吾ちゃんはお父さんの子なのよ」
完全に納得した健吾の表情が明るくなったのを見て、春子はほっとした。
健吾も、日頃、まったく遊んでくれない父親の栄一に対して、このとき親近感を持った。
「そうだったのか。お父さんが僕が生れることを、お祈りしてくれたんだ」
そう思うと、何とも言えない嬉しさがこみあげてくるのだった。
すぐに太一に電話をして、母親から聞いたことを話した。
「うん?そうかあ。だけど裸でくっつくのはどうしてなんだよう?」
健吾は、そのことを聞かなかったので答えられなかった。
「別に裸でなくてもいいんだと思うけどなあ」
と、健吾は自分の想像だけで言うと、
「もう一回聞いてみろよ」
と、太一はしつこく言った。
健吾にとっては十分過ぎるほど納得していたが、
「ああ、また聞いておくよ」
と言って電話を切った。
そのことを思い切って母親に健吾は聞いてみた。
「それはね、お父さんに聞いてみないと分からないわ。今晩聞いて、教えてあげるから」と答えられて、
「うん!」
と、健吾は嬉しそうに返事をした。
その夜、春子は栄一に相談した。
そして健吾が寝る時間になって部屋に行こうとしたとき、春子が健吾の部屋に一緒に入って行った。
そしてベッドに入ろうとした健吾の横に春子も入って、一緒に横になった。
久しぶりに母親が寝る前に横にいてくれることになって、健吾に何とも言えない安心感がよみがえった。
そして春子は健吾を思いきり抱きしめ、そして言った。
「どう健吾ちゃん、お母さんの体、暖かいでしょう?そして嬉しい気持ちになるでしょう?」
健吾は嬉しくて、
「うん!」と答えた。
「お母さんも、お父さんにこうやってもらうと暖かくて嬉しくなるの。そして裸だともっと暖かく感じるのよ。それで神さまが、お祈りを聞いてくれるのよ」
そう言っているうちに健吾は母親の胸の中で幸せいっぱいの表情で寝てしまっていた。
居間に戻ると、栄一が、
「どうだった。納得していたかい?」
と春子に聞いた。
春子は、栄一に対する頼もしさを感じながら、嬉しそうに頷いた。