Chapter 49 “自分”は確定できない

静止の世界が実在で、運動の世界は静止の世界の不在概念に過ぎない。
つまり、
静止宇宙が実在で、運動宇宙は映像に過ぎない。
まさに、
“静止の暗闇と沈黙と無臭と無味と無触覚の宇宙”が実在で、
“運動の光と音と臭いと味と肌触りの宇宙”は映像に過ぎない。
ところが、
宇宙、
地球、
自然、
人間社会、
人間、
は、
“運動の光と音と臭いと味と肌触りの宇宙”に存在すると信じてきたのです。
まさに、
137億光年の拡がりを持ち、膨張し続ける(運動し続ける)宇宙こそ、実在すると信じてきたのです。
ところが、
137億光年の拡がりを持ち、膨張し続ける(運動し続ける)宇宙とは、“運動の光と音と臭いと味と肌触りの宇宙”という映像宇宙に他ならなかったわけです。
そして、
“静止の暗闇と沈黙と無臭と無味と無触覚の宇宙”こそ、実在宇宙に他ならなかったのです。
平たく言えば、
“自分”という意識がある宇宙は、“運動の光と音と臭いと味と肌触りの宇宙”という映像宇宙に他ならなかったわけです。
一方、
“静止の暗闇と沈黙と無臭と無味と無触覚の宇宙”という実在宇宙では、“自分”という意識などないのです。
では、
“自分”という意識がある世界、
と、
“自分”という意識がない世界、
とは具体的にどう理解すればいいのでしょうか?
まさに、
時間の概念である過去・現在(最も近い過去若しくは最も近い未来)・未来に想いを馳せて生きている者こそ、“自分”という意識がある世界に生きているのです。
一方、
時間の概念のない『今、ここ』を生きている者こそ、“自分”という意識がない世界に生きているのです。
まさに、
“自分”は確定できないのです。