時刻:2023年3月4日午前0時

新田さんから、変わった人種がいるけど、彼等からも冬子に意見を下さっていると言うので、「どんな変わった人なんですか?」と訊きました。
そうすると、新田さんがこう答えるのです。
「変わった人でなくて、変わった人種だ」
冬子が、意味が分からない振りをすると、その方々の写真を見せられました。
わたしは納得しました。
では、先ず初めに、「あるどぶねずみ一家の物語」に登場されている、ドクロの塩吉さんからお願いします。

「生あるものはいつか死がある。どんな偉い人でも、どんな金持ちでも、又貧しい人、元気いっぱいの子供もいつか死を迎え、この世から消えてなくなってしまいます。
これは人間皆平等である。
この世に生を受けて生きている人間が存在していること自体が、宇宙の法則からすれば平等であるのです。
この平等な生を、生きて死ぬまでの時間内でどう使うかは、それぞれの人によって違うし、又、使い方によってそれぞれの人の生き方そのものが変わってくるし、このことがどういう死を迎えるかにも繋がってくるのです。
人は生を受けた瞬間に、この世での使命を与えられているのですが、この使命が何であるのかを気づくことにおいて、人によって差が出て来るのです。
他人の力で気づくことは決してなく、自分の力で気づくしかないのです。
冬子ちゃんの使命は冬子ちゃん自身が努力して気づくしかないのです。冬子ちゃんのお父さんがいくら代わってあげたいと思ってもそれは無理なのです。
それでは努力するということは、どんなことをすればいいのでしょうか。
努力という言葉はみんな知っているのですが、どうやって努力をするのかがなかなか難しくてわからないのです。
何でもいいから継続することです。
努力が報われる為には継続しかないし、努力が報われて初めて努力をしていたことに突然気づくのです。
だから早く自分の使命を見つけて自分の生まれてきた意味を知ることです。
だけどその為には、継続することをしていなければならないのです。
使命を見つけるのも継続による。
使命を果すのも継続による。
結局の処、継続するものを先ず持っていて、それを死ぬまで止めない。
これに尽きると思います。
継続の中で、使命を発見し、使命を果すことから、生きている意味と死ぬ意味がわかって来るのです。
生きている意味だけわかっても仕方ありません。
死ぬ意味だけわかっても仕方ありません。
実はどちらかということは有り得ないのです。
生きる意味がそのまま死ぬ意味に繋がっているのです。
だから、必ず死ぬからと言って生きる悦びが無いというのは間違いで、死ぬから生きる悦びがあるのです。
わかりましたか?」

誰がドクロの塩吉なんて名前をつけたのですか。
新田さんでしょう。
こんな優しく教えてくれる人なのに、冬子は面喰いではありません。