時刻:2023年2月26日午前1時

今日は、ものすごく立派な方から意見を寄せて頂きました。
新田さんの話では、関が原の合戦で大活躍されて、その後も天下のご意見番として、永い間、そのはっきりとした黒ふちの眼鏡の奥から睨みを利かせてこられた、大久保彦左衛門さんの生まれ代わりであらっしゃる(?)大久保彦右衛門さんです。
新田さんの話だと、ものすごく立派でも、左大臣と右大臣では、えらい違いだそうです。
どういう意味なのでしょうか?
では、どうぞ。

「死が免れないことが、なにゆえ福音になるのでござろうか?
いかなる御々(おのおの)方でも、必ず死ぬ!
これに関しては、如何なる浪費家であろうと、吝嗇家であろうと、はたまた5千石旗本の幕閣であろうと、貧乏旗本であろうと、はたまた外様であろうと、譜代であろうと、いわんや東照大権現の御血を引き継ぎたる親藩であろうと、おなじでござる。
死ぬまで、如何に生きるかを、みずから選択できるが故に、それが福音であり、それは人間だけに与えられた特権で御座早漏(?)。
今生きておるちゅうことは(???)死んでいないのであって、死ぬまではどなたであろうと、好き放題、「思い切り生きれる」ということで御座候。
思いっ(?)きり生きるてえことは、過去のこてえや、未来のこてえにめやって(???まよって)生きるのではねえで、『今さ、でえじ(大事)にここに存在しているこてえこてを喜ぶこてえこてだ!』
此様な心持ちで生きる為には、心の学問をしなければならないのでござるが、それは寺小屋でも教えてくださらぬ。
己の意志で学ばなければならぬのでござる。
死に至るまで己の意志で心の学問−死とは如何なるものか、生きるとは何でござるか−を問い続けることによってはじめて「楽しくてござ候」という境地になる、それを己みずから選べることができ候。
『是即武士道見附至死』であり、福音で御座候」

大久保彦右衛門さん、ありがてえごぜえやした。
冬子もエイズに伝染されたようで、頭が混乱してきました。
申し訳ありませんでした。
もう終ります。