時刻:2023年2月24日午前1時

冬子と同じ女性の方からも、冬子にとても優しく教えてくださる意見を寄せて頂きましたので、ご紹介します。
新田さんの親戚の方で、新田さんの作品を読みながら一所懸命、心の勉強をされているそうです。
冬子のお母さんより少し上の方で、お母さんの話では、「旦那さんをちゃんとたてる、今どき珍しい女性よ。新田さんが今書いている『大和撫子の一生』のモデルになっていると、お母さんは、お父さんから聞いたことがあるの」
「へえ、そうだったの!お父さんは、どうして新田さんのこと、そんなに知ってるの?」
わたしが尋ねると、お母さんが言いました。
「それを聞いちゃおしまい!冬子ちゃんでも、これだけは答えられないわ!」
8才のわたしがまだ知る必要はないようです。
それでは、撫子さん!よろしく。

「『人間はどうして死ぬのでしょうか?』と冬子ちゃんは尋ねました。
人間が生まれて来るのは、その人それぞれに神さまから与えられた使命があるから生まれて来るのです。
明確な目的があるのです。
神さまにはっきりとした目的がなければ、この世に送り出してはくれません。
冬子ちゃんも、わたしも、神さまから祝福して頂いてこうして生まれて来ているのですから、そのことに気づかないといけないでしょう?
こう言っているわたしも、まだその使命に気づいていないから、こうして心の勉強をしているのです。
なぜ心の勉強をするのか、わたしも最初はよくわからなかったのです。
ただ、毎日感謝の気持ちで、ご先祖さまを敬い、手を合わせていたらいいと思っていたのですが、敬って手を合わせている自分が本当の自分かどうかを知らないと意味がないと、新田さんから言われて、心の勉強を始めたのです。
日課として義務感でやっているなら、やらない方がいい。と新田さんに言われたのです。
ご先祖さまを敬い、手を合わせている自分を、はっきりと認識できているなら、自然に、神さまが与えてくれた使命に気づくことができるそうです。
そのためには、(自分の)心の勉強をして、本当の自分をまず見つけることから始めなければいけないのです。
新田さんの話だと、心の勉強と言うと、何か難しそうに聞こえるけれど、本当の自分というのは、水瓶のようなもので、水瓶に一滴一滴水を溜めていくことによって、水瓶の大きさと姿形が顕れてくるのだけれど、本当の自分がわかっていないのだから、水瓶自身を知る術は無いし、また水瓶の外から眺めることもできない。できるのは、一滴一滴の水が普段の自分の想いなのだから、溜まっていった水の量によって、水瓶の中から、その大きさと姿形を知ることしかできないの。
冬子ちゃん!わかるかしら?
言っているわたしも、ちょっと不安です。
だから、水瓶の中に水を一滴一滴溜めて行くしか方法はないわけです。
その為に、日々の努力の継続が大事になってくるのです・・・???
・・・???何でもいいから、日々の継続という努力をするのよ!
それが、心の勉強なのね。ふううん!(これ溜息です)
そして水瓶に水が溢れるほど溜まると、水瓶の容量と姿形がおのずから判明する。
その時が、本当の意味で死がやって来た時なのです。
仏教の輪廻転生や、イエスキリストの復活での死の本当の意味は、このことなのです。って?
ご本を読んだり、どこか偉いお坊さんや教祖さんの話を聞くのが、心の勉強ではないのです。って?
些細なことを、日々継続することが、心の勉強なんです。って?
って?と書いたのは、新田さんの意見が多く入っているからです。
ここからは、わたしの意見です。
限り無く生きる、つまり死なないで生き続けるというのは、余りにもしんどい事です。楽しかった時も精一杯楽しんできたし、苦しかった時も精一杯苦しんできたのは、その折々を一所懸命生きて来たからで、その結果いまの自分があるのです。
それを限り無く続けるのは、正直言って、したくありません。
人生の中で遭遇する生老病死、喜怒哀楽を、それなりに経験し、最後に自分自身に、
『よくやった、もういいよ!』と言ってやれる生き方をする人にとって、死はご褒美ではないでしょうか。
冬子ちゃんも、死ぬことがご褒美ならいいでしょう?」

さすがに新田さんの薫陶を受けておられるだけに、女性なのにとても論理的でわかり易かったです。
ありがとうございました。