時刻:2023年2月21日午前0時

本日は、「大和撫子の一生」で大活躍されている、怪物・東郷英之介さんから自己の貴重な経験を交えて、お話をして頂けるそうです。
よろしくお願いします。

「怪物、怪物と巷間で言われているわたしですが、決して化け物でも天使でもありません。
余りにも世間の人間、特にサラリーマン諸君の中で偉い地位になった連中が、まさにどぶねずみ一家を形成しているのを見て、我慢ならずお仕置をしてやっただけのことで、冬子ちゃんのお父さんであるデビルさんと比べたら、まるでひよこみたいなわたしです。
さて、死という問題についてですが、8才の冬子ちゃんが死について悩んでいると聞いて、自分自身情けなくなって、正直言って愕然としています。
すべての生き物には死が必ずやって来ます。
しかし人間だけが、死がいずれ必ずやって来ることを認識することが出来ます。
では何故それが福音なのでしょうか。
それは死を認識することによって限られた時間を有意義に過ごすことが可能だからです。
しかし多くの人は、せっかくのこの福音に気がつかず、まだまだ生きてゆけるから、そのうち、そのうちと過ごしてしまっているのです。
だからこそ、『鬼の掟』でわざわざ決められたのでしょう。
また、生がどうして悦びになるのか?
生が悦びであって、死が悲しみと決まっているわけではありません。
生が悲しみであって、死が悦びの場合もあるのです。
生を有意義に過ごすことを意識し、誰もが持っている使命を早く見つけて生きている人にとってのみ、生が悦びになるのではないでしょうか。
生きること、そしていつか死を迎えることを意識して、正しい行いを継続することが大切だと思います。
人間が死を意識する年齢は人によって違います。
わたしの場合、尊敬する祖父の死がはじめて死を意識させてくれました。
中学3年(15才)でしたが、祖父と一緒に住んでいたから、健康そのものだった祖父だけに本当にショックでした。
急死だけに、なんと人間は脆いものかと深く感じたのです。
しかしせっかく祖父が身を以って示してくれたチャンスを今迄逃していたことになって、残念で堪りません」

英之介さん。ありがとうございました。
怪物と言われているあなたも、弱い面があるのですね。
わたしのお父さんも同じです。
鬼のように思われていますが、実はとても気の小さい人なんです。
「神の自叙伝」の気のいいカミですから、テンシであるわたしの方がずっと気は強いのです。
あまり気を落とさないで、和田夫妻をたすけてあげてください。