時刻:2023年2月19日午前0時

本日は、20年前のみなさんが生きておられた時代には、暴走族のボスだったのに、その後心を改められた、お父さんの無二の親友の大岡賢治さんが、地球委員会・委員長という重要なお仕事をされて、とても忙しい中を、冬子の為に、わざわざ意見を下さいました。
以下紹介致します。

「冬子ちゃん、久しぶりです。
知らない間に、こんなことをされていたとは驚きました。
お父さんの作られた、「鬼の掟十七条」の第六条と第七条について、当時お父さんと一緒に行動していたわたしでしたので、お父さんがどのような意図で書かれたのかを、思い出しながら書いてみます。

『第六条
凡そ、人間だけが、すべて生あるものは死から免れないことを、教えられそれを知る福音を与えられたことに感謝すること』

上記第六条の理由は、以下だと感じます。

死という期限があることを意識し始めるのは、性別差や個人差が多少あるものの、肉体の衰弱が始まる40歳過ぎ位からではないでしょうか。その頃より年とともに、人生には期限があるのだと、徐々に強く感じる人が多くなるようです。 
そこで、どうせ終わるのなら、残りの人生一層自分のしたいこと(欲望)のために生きようという方向に行く人と、期限があるからこそ、今までの自分の低い心境ややるべき目標や使命をほとんど果たしていないという現状から、このままでは死んでも死にきれないと、死という期限までに、何とか挽回しようと、心を入れ替える方向へ行く人に、大きく分かれるようです。 
後者の人にとっては、ギアチェンジのような人生姿勢の質的シフトアップが起こり、上記第六条が言うように、福音といえると思います。 
また、前者の人にとっては、第6条は一見福音ではないように見えますが、死
が免れないという意識は、今のままの人生でいいのだろうかとの疑問を時として強く突きつけ、自己のあり方を劇的に変える一大転機を与える可能性があり、ともに福音といえるのではないでしょうか。
要するに、死という期限があるのだから、欲望であれ使命であれ、積み上げていって達成しようという考えそのもののむなしさに気づかせ、自分が心の奥底から納得できるように、先送りをやめ、日々を、今を、全力で生きるという中にしか、真の安住はないということに気づかせてくれる点で、上記第六条が言うように、福音だと感じます。

『第七条
凡そ、人間といえども天の意思なく生を受けられるものでないことを知るならば、生を得た悦びに感謝し、その意義を生あるうちに知るべく努力すること』

上記第七条の解釈は、以下だと感じます。

第七条は、人間は天の意志で生を受け、生には喜びが内包され、意義深いということと、だからこそ、生を得たことを感謝し、その深い意義を知ることが大切と言っています。 
第六条と一見矛盾するようですが、そうではありません。死を意識するからこそ、今の生を有意義なものにしようと思い、そこから、日々全力で生きようと
か、日常の心の思いを高めようとか、精神的向上を目指そうとか、世の役に立とうとか、日々公正に生きようとかの具体的指針がたち、その結果、本当に生が有意義なものへと徐々に変貌していくのです。 
自分自身が納得できる有意義な生に変化してからこそ、初めて、『その意義を生あるうちに知る』ということになります。 
従いまして『生の意義を知るべく努力する』とは、より有意義に生きるよう努力することではないでしょうか。 
この有意義さを感じることにより、生を得た喜びも深まり、一層感謝する気も湧いてくると思います。

以上です。
少しは、お役に立てたでしょうか」


さすがに、地球委員会の委員長さんをされているだけに、わたしもちょっと難しかったけど、いい勉強になりました。
みなさんは、如何でしたか。