富裕論

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はじめに

二十一世紀になっても一向に日本の経済は回復の兆しを見せません。
アメリカの一人勝ちで二十世紀の世界経済は終わったものの、二十一世紀に入ってからは、
アメリカ経済も怪しくなり、その規模が大きいだけに世界に与える影響は甚大なもので、ますます混沌とした世の中になってきました。
二十世紀最大の経済危機であった、一九二十年代の終わりから三十年代に起こった世界大恐慌と比較して、現象面だけを捉えますと、当時の方が遥かに深刻な状況であり、まだ現在の方がましだとの声も聞かれます。
確かに、物不足、失業者、自殺者など、それはまるで地獄絵のようであったようであります。
それに比べて、現在の状況は、物は豊かにあり、不景気と言っても贅沢品はよく売れているし、海外旅行者も依然多い現象を見ていますと、国民全般に深刻さが浸透しているようには決して思えません。
しかし、視点をもっと大きく致しますと、地球環境の悪化は当時と比べようのないほどの状況にあることは誰もが認めるところであると思います。
それと、経済のメカニズムに大きな変化があったことも見逃すことが出来ません。
当時、経済とは生き物と同じで、人為的な操作は不可能というのが常識でありました。
飽くまで市場原理・原則に則した法則が働き、それは人間の持つ情念との絡みであり、理性や知性で制御できるものではないと考えられていました。
然しながら、一九七一年のアメリカの一方的な決定で、ドルと金との交換が出来なくなったことは、実質上も「金本位制」の廃止であり、以来貨幣経済は価値のベースになるものを失ってしまったのであります。
現在の世界経済のパラダイム変化は、この時に実は始まっていたのであります。
そしてコンピュータの飛躍的進歩により、一九八〇年代に出現した金融商品は、貨幣の本来性である物品の交換手段を変えてしまい、貨幣そのものが物品となる博打性を強く持つ経済メカニズムに変化していったのです。
今や、経済というものは、人間の生活の基本から賭博性の強い、マネーゲームのカテゴリーになってしまったのです。
博打に必ず付きものであるのがイカサマであります。
博打は胴元が必ず勝つ。
現在の経済にも胴元がおり、イカサマが為されている。
つまり人為的なものに変わってしまったことを、我々はいまだに認識していないから、この経済の閉塞状態から抜け出せないでいると思うのであります。
今こそ、経済に対する視点を変えるべき時が来たのです。
現在の世界経済は、過去の延長線上でいくら構造改革などと言っても全く無意味なものに
なってしまっているのです。
新たな経済概念を以って、新しい世界経済のメカニズムを構築し、その中で、人間社会のみならず、地球レベルでの最適化を模索していかなければならない時代に我々は直面していると認識すべきであります。
新しい経済概念には、当然新しい豊かさの概念を見出さなければなりません。
今までの豊かさと違った概念とはどのようなものであるかを検証していこうとするのが本書の目的であります。
富裕とは、単にものが豊かであるという意味ではないはずです。
それでは「富裕」とは。それを論じてみようと書き始めてみたのであります。

平成十四年一月十五日    新 田  論

第一章 前近代経済史(経済の原点)
第二章 近代世界の誕生
第三章 二十世紀の総括
第四章 我が国の建て直し
第五章 世界のリーダーは依然アメリカか
第六章 新しい価値の創出


あとがき

「富裕論」というような大上段に構えたタイトルの本になってしまいましたが、要するに平たく言えば、世の中、金、金と言うが、心の美しさが一番大切なんですよ、その中でも徳を積むために善行をすることです。お金をいくら積み上げても死ねば、閻魔大王さんが取り上げてしまって、「ところでお前は、生きている間に、どれだけ他人に喜んで貰えることをしてきたのか?」と聞かれる。その時に堂々と胸を張って答えることが出来るように、日々心がけておくことが大切なんですよ。そのことを訴えたかったのです。
今までに、醸成してきた想いでありますから、ほとんど文を連ねる作業で済みました。
現在執筆中の六作品を途中で止めてまで、一気に書き上げ、今このあとがきを午前五時に書いております。
あの幕末の混沌とした世の中で、三十才の若さでありながら自己の人生を完全燃焼させて爽やかに死んでいった吉田松陰に思いを馳せますと、今こそ彼の精神を現代日本人に伝えることが急務であると感じたからであります。
少々疲れておりますが、満足感はあります。

平成十四年一月二十三日   新 田   論