第十八章 平常心の失われた人間社会=悪意の人間社会

自然社会での、
平常心(罪意識なし)で殺す行為とは、
食う行為に他ならないのである。
逆に言えば、
自然社会での、
淡々と殺される行為とは、
食われる行為に他ならないのである。
つまり、
人間社会での、
生きるか死ぬかの問題は、
自然社会では、
食うか食われるかの問題に他ならないのである。
そして、
生きるか死ぬかの問題になれば、平常心(罪意識なし)を失うのである。
一方、
食うか食われるかの問題になれば、平常心(罪意識なし)は保たれるのである。
では、
なぜ、
現代人間社会では、
暴力団や軍隊以外のオス人間は、平常心(罪意識なし)で殺す行為ができないのか?
親から子へと代々引き継がれてきた間違った信念がその原因だ。
では、
その信念とはどうやって生まれたのか?
まさに、
モーゼの十戒だ。
“汝殺すなかれ”だ。
まさに、
3500年の人類のトラウマがここにある。
言い換えれば、
悪意の人間社会の原点がここにある。
まさに、
男性の女性化現象の原点がここにある。