第七章 宗教と科学は共に光信仰

朝・昼・夜や春・夏・秋・冬の意識のみならず、一日=2、808時間、一年=1.9日の意識も、明るい、暗い、暖かい、暑い、寒いといった意識すらないのが、金星に他ならない。
朝・昼・夜や春・夏・秋・冬の意識のみならず、一日=24時間37分、一年=669.38日の意識も、明るい、暗い、暖かい、暑い、寒いといった意識すらないのが火星に他ならない。
一方、
明るい、暗い、温かい、暑い、寒いといった意識は、人間社会の子供や自然社会の生きものにはある。
従而、
明るい、暗い、温かい、暑い、寒いといった意識は、地球にはある。
まさに、
地球の意識と金星や火星の意識の違いがここにあるのかも知れない。
まさに、
地球の意識と宇宙の意識の違いがここにあるのかも知れない。
ところが、
地球は46億年前に誕生したのに、宇宙は137億年前に誕生したという。
ところが、
われわれ人類は50万年前に誕生したのに、地球は46億年前に誕生したという。
まさに、
地球が46億年前に誕生したら、宇宙も46億年前に誕生したはずである。
まさに、
われわれ人類が50万年前に誕生したら、地球も50万年前に誕生したはずである。
では、
自分はいつ誕生したのだろうか?
まさに、
筆者の場合は1947年に誕生したのだから、地球も1947年に誕生したはずである。
では、
筆者の意識はいつ誕生したのだろうか?
まさに、
そのとき地球が誕生したのであって、46億年前ではない。
まさに、
そのとき宇宙が誕生したのであって、137億年前ではない。
宇宙は137億年の拡がり持つ世界である。
言い換えれば、
137億年前の過去の映像がわれわれの宇宙なのである。
科学者は平然と言う。
137億年前の過去の映像が映っているのが、われわれの宇宙なのである。
それなら、
8分前の過去の映像が映っているのが、われわれの太陽なのである。
それなら、
2秒足らず前の過去の映像が映っているのが、われわれの月なのである。
それなら、
目の前(1m前)にいるのは3億分の1秒前の過去の映像が映っているのが、あなたの恋人なのである。
まさに、
われわれはそのことを自覚して生きているのだろうか。
137億年の拡がり持つ宇宙から137億年の過去を見ることができる。
科学者の主張である。
では、
目の前(1m前)にいる科学者の恋人は3億分の1秒前の過去の映像と科学者は主張するのだろうか?
では、
ニュートンやアインシュタインは、なぜ悩んだのか?
悩みなどないはずである。
なぜなら、
目の前に見えるものはすべて過去の映像だとするなら、悩むはずがないからだ。
なぜなら、
フランスの哲学者であるジャン・ポール・サルトルが、“他人が地獄である”と喝破したように、悩みの原因である自分以外の目の前に展開する他者は単なる過去の映像に過ぎないからである。
そして、
そんなサルトルにも、アインシュタインと同じノーベル賞を与えられたのである。
一体ノーベル賞とは何者なのだろうか?
“他人は地獄である”
ジャン・ポール・サルトルの有名な言葉である。
まさに、
一神教、且つ、科学万能主義の西洋社会の面目躍如の考え方に他ならない。
言い換えれば、
宗教と科学が同じ穴の貉である世界が、一神教の西洋社会なのである。
そういう観点では、
キリスト教もイスラム教もユダヤ教もすべて同じ穴の貉に他ならない。
だから、
骨肉の争いを繰り広げるわけである。
一方、
インドでは、ヒンズー教とイスラム教との間で、骨肉ではなく、赤の他人同士の殺し合いが展開されている。
ヒンズー教は多神教なのにである。
まさに、
すべての宗教と科学は同じ穴の貉である証左に他ならない。