第六章 星の意思

137億年前に起こったビッグバン時から、時刻が刻みはじめた。
爾来、
地球の衛星である月も、地球自身も、太陽系も、銀河星雲も、宇宙全体も、ビッグバン以来、137億年間、時刻を刻み続けているという。
だが、
われわれ地球に住むものにとっての137億年は、500,392.25億日であり、1,200,942億時間である。
一方、
金星に住むものにとっての137億年は、260.3億日であり、730,922.4億時間である。
他方、
火星に住むものにとっての137億年は、91,762.6億日であり、2,223,407.8億時間である。
では、
そんな地球も金星も火星も、太陽系の中に組み込まれている惑星ではないのか?
なぜなら、
太陽には太陽の137億年の時間があるはずだから。
そして、
金星には金星独自の時間があるように、
地球には地球独自の時間があるように、
火星には火星独自の時間があるように、
太陽には太陽独自の時間があるはずだし、
銀河には銀河独自の時間があるはずだし、
宇宙には宇宙独自の時間があるはずだ。
それなら、
地球上の自然社会の生きものにもそれぞれ独自の時間があるはずだし、
純真無垢な人間の子供にもそれぞれ独自の時間があるはずだ。
では、
純真無垢な人間の子供にも時間の概念があるのだろうか?
言い換えれば、
自然社会(野性)の生きものにも時間の概念があるのだろうか?
朝・昼・夜や春・夏・秋・冬の感覚はあるかもしれない。
厳密に言えば、
明るいとか暗いとか、暖かいとか暑いとか寒いとかいった感覚はきっとあるに違いないだけで、朝・昼・夜や春・夏・秋・冬の感覚は決してないだろう。
従而、
純真無垢な人間の子供には、朝・昼・夜や春・夏・秋・冬といった時間の観念すらないだろう。
ましてや、
一日24時間、一年365日といった時間の概念などあろうはずがない。
従而、
自然社会(野性)の生きものには、朝・昼・夜や春・夏・秋・冬といった時間の観念すらないだろう。
ましてや、
一日24時間、一年365日といった時間の概念などあろうはずがない。
まさに、
純真無垢とは、時間の概念どころか時間の観念すらない証明に他ならないのである。
言い換えれば、
時間の概念どころか時間の観念すらないのが、純真無垢の状態に他ならないのである。
平たく言えば、
朝・昼・夜や春・夏・秋・冬の意識のみならず、一日=24時間、一年=365日の意識すらなく、明るい、暗い、暖かい、暑い、寒いといった意識しかないのが人間社会の子供であり、地球(自然社会の生きもの)に他ならないのである。
では、
朝・昼・夜や春・夏・秋・冬の意識のみならず、一日=2,808時間、一年=1.9日の意識すらなく、明るい、暗い、暖かい、暑い、寒いといった意識しかないのが、金星に他ならないのだろうか?
では、
朝・昼・夜や春・夏・秋・冬の意識のみならず、一日=24時間37分、一年=669.38日の意識すらなく、明るい、暗い、暖かい、暑い、寒いといった意識しかないのが火星に他ならないのだろうか?
では、
明るい、暗い、温かい、暑い、寒いといった意識は、人間社会の子供や自然社会の生きものには、果たしてあるのだろうか?
では、
明るい、暗い、温かい、暑い、寒いといった意識は、地球には果たしてあるのだろうか?
まさに、
地球の意識と金星や火星の意識の違いがここにあるのかも知れない。
まさに、
地球の意識と宇宙の意識の違いがここにあるのかも知れない。
では、
拙著「新・宇宙論(強い人間原理)」第一章(強い人間原理)の一部抜粋した下記から、先ず検証してみよう。
『知的生命体が存在し得ないような宇宙は観測され得ない、よって、宇宙は知的生命体が存在するような構造をしていなければならない、というのが、「強い人間原理」である。』
一体何を意味しているのだろうか?
まさに、
知的生命体とは、われわれ人間のことであり、われわれ人間が存在しない限り、宇宙など存在し得ない、と言っているのである。
では、
「強い人間原理」を拡大解釈してみよう。
われわれ人間が存在しない限り、地球など存在し得ないのである。
まさに、
われわれ人間ひとり一人の意思が共鳴した状態こそが、地球の意思に他ならないことを示唆しているのである。