第三十四章 “Ego”は必要悪

自我意識(Ego)の存在意義とは、ホンモノの自分が実在であることを理解するために他ならない。
まさに、
自我意識(Ego)は、必要悪に他ならない。
なぜなら、
ホンモノの愛なら、自我意識(Ego)の存在意義など無いからである。
まさに、
心身ともに疲れていないなら、必要悪の眠りなど必要無いのと、まったく同じ道理だからである。
まさに、
永遠の愛なら、必要悪の自我意識(Ego)の存在意義など必要無いからである。
言い換えれば、
ホンモノの愛なら、必要悪の自我意識(Ego)の存在意義など必要無いからである。
そして、
ホンモノの愛ならば、時間を超えて解決する(永遠に忘れない)のである。
まさに、
愛する人と別れる苦の正体とは、ニセモノの愛に過ぎない証明である。
そして、
そんなニセモノの愛など、消えてしまえばいいのである。
言い換えれば、
ニセモノの愛が消滅することこそ、死に他ならないのである。
なぜなら、
愛と死こそ、時間を超える永遠性、すなわち、唯一性を持つものに他ならないからである。