第三十一章 “Ego”のない地球

地球の意思と意志の関係は、われわれひとり一人の人間の肉体と意識の関係と同じなのである。
まさに、
われわれひとり一人の人間にとって親とは、地球以外の何者でもないのである。
そして、
われわれひとり一人の人間の肉体は、地球の意思の分身に他ならず、意識は意志の分身に他ならないのである。
ところが、
われわれひとり一人の人間の意識、すなわち自我意識(Ego)は無数にあるのに、地球の意識である意志は、意思と同じで唯一なのである。
まさに、
われわれ人間の子供も、自然社会のすべての生きものたちも、地球と同じ唯一の意識の証左である。
言い換えれば、
われわれ人間の子供も、自然社会のすべての生きものたちも、地球と同じ唯一の意志の証左である。
では、
地球の意思こそが全体感(集合意識)であり、地球の意識(意志)は部分観(自我意識(Ego))なのだろうか?
では、
われわれ人間の子供も、自然社会のすべての生きものたちも、地球と同じ唯一の意識、すなわち、意志という自我意識(Ego)があるのだろうか?
まさに、
『唯一』がキーワードに他ならない。
逆に言えば、
『無数』がキーワードに他ならない。
意志は唯一である。
自我意識(Ego)は無数にある。
従って、
地球には自我意識(Ego)が無いのである。
従って、
われわれ人間の子供も、自然社会のすべての生きものたちも、自我意識(Ego)が無いのは言うまでもないのである。
では、
われわれ人間の大人だけに、なぜ無数の自我意識(Ego)があるのだろうか?
更に、
われわれ人間の大人だけが、なぜ無数の自我意識(Ego)を、自分だと信じているのだろうか?
なぜなら、
唯一の意識は、絶対性だからである。
なぜなら、
無数の意識は、相対性だからである。
まさに、
自他の区分け意識が、無数の自我意識(Ego)の根源に他ならないのである。
言い換えれば、
自他間の差別意識が、無数の自我意識(Ego)の根源に他ならないのである。