第二十五章 ホンモノの自分=非意識

意識のある意識=無意識。
まさに、
意識のある意識=無意識こそ、ニセモノの自分に他ならない。
一方、
意識のない意識=非意識。
まさに、
意識のない意識=非意識こそ、ホンモノの自分に他ならない。
従って、
普段、“自分は・・・”と思っている顕在意識は、ニセモノの無意識に他ならない。
まさに、
“自分は・・・”を否定しない限り、ホンモノの自分に出遭うことはない。
表現を換えれば、
“自分は・・・”を消滅させない限り、ホンモノの自分に出遭うことはない。
では、
“自分は・・・”の消滅とは、一体何を意味しているのだろうか?
まさに、
“自分は・・・”の消滅とは、“自分は・・・”の死に他ならないのである。
そして、
“自分は・・・”の死こそ、ホンモノの自分の復活に他ならないのである。
まさに、
“自分は・・・”の死こそ、イエス・キリストの復活の真の意味に他ならないのである。
まさに、
イエス・キリストが言うところの“父なる神”とは、地球意識に他ならないのである。
従って、
キリスト教的に言えば、
イエス・キリストと“父なる神”との関係になるためには、ホンモノの自分の復活、すなわち、“自分は・・・”の死しかないのである。
イスラム教的に言えば、
マホメットと“アラーの神” との関係になるためには、ホンモノの自分の復活、すなわち、“自分は・・・”の死しかないのである。
仏教的に言えば、
釈迦と“仏” との関係になるためには、ホンモノの自分の復活、すなわち、“自分は・・・”の死しかないのである。