第二十四章 意識のある意識 & 意識のない意識

われわれが言うところの魂、すなわち、意識の正体とは、実体のない(実在しない)幻想(映像)以外の何者でもない。
まさに、
われわれの魂とは、意識のある意識に他ならず、すなわち、幻想(映像)に過ぎない無意識のことである、
一方、
実体のある(実在する)意識とは、われわれの魂、すなわち、無意識のない意識のことである。
まさに、
無意識に対して非意識のことに他ならない。
従って、
意識のある意識こそ無意識に他ならない。
言い換えれば、
自我意識(Ego)のある意識こそ無意識に他ならない。
更に言い換えれば、
“自分は・・・”のある意識こそ無意識に他ならない。
一方、
意識のない意識こそ非意識に他ならない。
言い換えれば、
自我意識(Ego)のない意識こそ非意識に他ならない。
更に言い換えれば、
“自分は・・・”のない意識こそ非意識に他ならない。
そして、
非意識に達するための最も有効的な手法は、曹洞禅宗の開祖である道元禅師が、彼の大著「正法眼蔵」のある下記記述に示されている。
すなわち、
不思量底思量是即非思量。
現代語訳すれば、
何も考えずにいようと日々努力を続けていると、いつか、考えないようにと考えなくても、考えのない状態である非思量になれるのである。
まさに、
意識のある意識=無意識に他ならない。
一方、
意識のない意識=非意識に他ならない。