第二十三章 意識の正体

肉体は滅びても、魂は永遠に生き続ける。
まさに、
輪廻転生の考え方であり、われわれ人類は文明社会の黎明期から信じ込んできたようである。
そして、
この魂こそ、意識に他ならない。
従って、
肉体は滅びても、意識は永遠に生き続ける。
そうすると、
滅びる肉体には、おわりがあるから、当然、はじまり、すなわち、誕生があったことは間違いないだろう。
一方、
永遠性を有する意識には、おわりがないから、当然、はじまり、すなわち、誕生もなかったということになる。
ところが、
実体は正反対のようである。
なぜなら、
われわれの意識は、肉体が誕生した時点ではなかったとしか考えられないからである。
現に、
われわれの意識は、せいぜい、3才から5才の頃からはじまっているからである。
なぜなら、
われわれの記憶は、せいぜい、3才から5才の頃からはじまっているからである。
まさに、
意識は滅びても、肉体は永遠に生き続ける証明に他ならない。
現に、
肉体を構成する物質である分子構造物は、生きていようが、死んでいようが、永遠に不変で、位相が変わるだけである。
逆に言えば、
肉体を構成する物質である分子構造物は、絶対温度零度(摂氏マイナス273度)においてのみ、位相の変化がない、すなわち、不死なのである。
まさに、
温度の変化によって位相が変化する現象を、生や、死と表現しているだけである。
しかも、
温度の究極とする絶対温度零度(摂氏マイナス273度)では、生も死もないというわけである。
まさに、
意識に死があるように、肉体にも死があるというわけである。
この事実は一体何を意味しているのだろうか?
まさに、
地球上にある意識は、地球意識だけなのである。
ところが、
地球意識には、いわゆる普段の自分だと思っている“自分は・・・”という自他の区分け意識はない。
そうすると、
輪廻転生する意識というのは個別意識のことだから、輪廻転生の考え方は、まさに、文字通り、荒唐無稽以外の何者でもないことがわかるのである。
まさに、
われわれが言うところの魂、すなわち、意識の正体とは、実体のない(実在しない)幻想(映像)以外の何者でもない証明である。