第十六章 おもての自分を否定し続けることが肝要

“我が強い”の我とは、自我意識(Ego)の我であり、隠れた自分ではなく、おもてに出た自分のことである。
言い換えれば、
普段、“自分は・・・”と思っている自分に他ならない。
まさに、
見えないものが実在する。
見えるものは実在の不在概念を映す映像である。
まさに、
普段、“自分は・・・”と思っている自我意識(Ego)が、無数に存在する所以がここにある。
逆に言えば、
実在するものは唯一である所以がここにある。
まさに、
“自分は・・・”と意識した途端、無数のニセモノの自分に振り回されていることになる証左に他ならない。
一方、
“自分は・・・”と意識しなくなった途端、無数のニセモノの自分に振り回されない、唯一のホンモノの自分がいる証左に他ならない。
従而、
おもての自分は常に否定することが肝要である。
“地に足が着いている”
“地に足が着かずに、上ついている”
といった表現がある。
地とは大地、すなわち、地球のことである。
まさに、
地球と自分とが繋がっていると安心し、地球と自分が繋がっていないと不安になるわけだ。
そして、
おもての自分は、地球意識と繋がっていないから、不安な状態に常にある。
一方、
隠れた自分は、地球意識と繋がっているから、安心な状態に常にある。
まさに、
おもての自分が、自我意識(Ego)の顕在意識に他ならず、
隠れた自分が、潜在意識に他ならない。
そして、
地球意識と繋がって安心感を持たせてくれる隠れた自分を登場させるためには、自我意識(Ego)、すなわち、顕在意識である、おもての自分を常に否定し続けなければならないのである。