第十二章 必然性の世界 & 偶然性の世界

地球の自転周期は一回転が24時間ではなく、およそ24時間である。
地球の公転周期は一回転が365日ではなく、およそ365日である。
だから、
4年に一回、微調整のため、366日にしてある。
もしも、
自転周期が一回転=24時間で、公転周期が一回転=365日であるなら、宇宙は必然性を本質としているはずである。
だが、
自転周期が一回転およそ24時間で、公転周期が一回転およそ365日であるなら、宇宙は必然性を本質としていないことになる。
言い換えれば、
自転周期が一回転およそ24時間で、公転周期が一回転およそ365日であるなら、宇宙は偶然性を本質としていることになる。
まさに、
科学の志向する所は、しょせん確率に基づく近似値の世界であって、確率が0若しくは100という確定値の世界ではないのである。
言い換えれば、
科学の志向する所は、偶然性の世界を必然性の世界に無理やり押し込む世界なのである。
われわれ人間社会では、嘘をついたり、盗んだり、殺したり、強姦したら、罪になって罰を受ける。
一方、
自然社会では、嘘をつく生きものは誰もいないし、ハイエナは他の食べものを盗み取りするし、他のオスの子を生んだメスでも平気で犯すし、ライオンがシマウマの子供を平気で殺したりするが、罪にもならないし、罰せられることもない。
なぜ、
われわれ人間社会と自然社会は、こんなにも違うのだろうか?
なぜなら、
われわれ人間社会は、必然性の世界だからである。
一方、
自然社会は、偶然性の世界だからである。
言い換えれば、
われわれ人間社会は、すべてが(NO)の世界だからである。
一方、
自然社会は、すべて(OK)の世界だからである。
では、
この事実は一体何を示唆しているのだろうか?
まさに、
われわれ人間社会は、是々非々の世界なのである。
一方、
自然社会は、是非のない世界なのである。
そして、
是非のない世界が、是々非々の世界を包摂しているのである。
言い換えれば、
地球が、われわれ人間社会を包摂しているのである。
われわれ人間社会では、善は是、悪は非、が常識になっている。
一方、
自然社会では、善も悪も、是でもなく、非でもない。
この事実は一体何を意味しているのか?
まさに、
善・悪二元は二律背反するのではなく、補完し合うことを意味しているのである。
言い換えれば、
善・悪二元では、悪が実在し、善は悪の不在概念に過ぎないことを意味しているのである。
つまり、
善も悪も超えるには、善と悪は対立するのではなく、補い合うものであることを理解する必要がある。
更に、
善と悪が対立するなら、善が実在で悪は善の不在概念となるが、善と悪が補い合うのであれば、悪が実在で善は悪の不在概念に過ぎないことを理解する必要がある。
まさに、
悪が本もので、善が偽ものである証明に他ならない。
まさに、
善・悪二元論では、悪=善に他ならない所以である。
まさに、
悪が本もので、善が偽ものである証明に他ならない。
まさに、
善・悪二元論では、悪=善に他ならない所以である。
この事実は一体何を意味しているのだろうか?
まさに、
神・悪魔二元論では、神=悪魔に他ならない所以である。
まさに、
天国・地獄二元論では、天国=地獄に他ならない所以である。
まさに、
幸福・不幸二元論では、幸福=不幸に他ならない所以である。
まさに、
金持ち・貧乏二元論では、金持ち=貧乏に他ならない所以である。
まさに、
健康・病気二元論では、健康=病気に他ならない所以である。
そして、
生・死二元論では、生=死に他ならない所以である。
畢竟、
必然性の世界=偶然性の世界に他ならない所以である。