第四百七十五話 映像の世界から実像の世界へ

メスが実在で、オスはメスの不在概念である。
従って、
「メス社会」が実在、つまり、知性の功的側面で、「オス社会」が「メス社会」の不在概念、つまり、知性の罪的側面である。
従って、
「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別を超えた社会」が実在、つまり、知性の功的側面で、「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会」が「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別を超えた社会」の不在概念、つまり、知性の罪的側面である。
従って、
「宗教と科学を超えたもの」が実在、つまり、知性の功的側面で、「宗教と科学」が「宗教と科学を超えたもの」の不在概念、つまり、知性の罪的側面である。
従って、
「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖を超えたもの」が実在、つまり、知性の功的側面で、「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖」が「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖を超えたもの」の不在概念、つまり、知性の罪的側面である。
従って、
「差別・不条理・戦争を超えたもの」が実在、つまり、知性の功的側面で、「差別・不条理・戦争」が「差別・不条理・戦争を超えたもの」の不在概念、つまり、知性の罪的側面である。
従って、
「メス社会」を中心にして、「宗教と科学を超えた価値観」と「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別制度を超えた価値観」と「悩みや四苦八苦、挙げ句の果ての、死の恐怖を超えた価値観」と「差別・不条理・戦争のない社会」を四辺にしたスクエアー(正方形)構造の社会が実在、つまり、知性の功的側面で、「オス社会」を頂点にして、「宗教と科学」と「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会」で底辺を構成するトライアングル構造の社会が「メス社会」を中心にして、「宗教と科学を超えた価値観」と「支配・被支二層構造と世襲・相続の差別制度を超えた価値観」と「悩みや四苦八苦、挙げ句の果ての、死の恐怖を超えた価値観」と「差別・不条理・戦争のない社会」を四辺にしたスクエアー(正方形)構造の社会の不在概念、つまり、知性の罪的側面である。
従って、
「この世とあの世」=「鑑賞席のある映画館の世界」=「主観・客観の世界」=「理解の世界」=「現実の世界」=「絶対・相対の世界」=「静止・運動の世界」=「三元論の世界」=「終点の世界」=「死の世界」=「宗教を超えた世界」=「科学を超えた世界」=「神を超えた世界」=「政治を超えた世界」=「経済を超えた世界」=「歴史を超えた世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖を超えた世界」=「差別・不条理・戦争を超えた世界」=「必然・偶然の世界」=「『今、ここ』の世界」=「成熟した知性の世界」=「無(限)・有(有限)を超えた世界」=「蓄積の理解の世界」が実在、つまり、知性の功的側面で、「この世」=「動画面の世界」=「主観の世界」=「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」=「必然の世界」=「過去・現在・未来の世界」=「未熟な知性の世界」=「有(有限)の世界」=「蓄積の概念の世界」が「この世とあの世」=「鑑賞席のある映画館の世界」=「主観・客観の世界」=「理解の世界」=「現実の世界」=「絶対・相対の世界」=「静止・運動の世界」=「三元論の世界」=「終点の世界」=「死の世界」=「宗教を超えた世界」=「科学を超えた世界」=「神を超えた世界」=「政治を超えた世界」=「経済を超えた世界」=「歴史を超えた世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖を超えた世界」=「差別・不条理・戦争を超えた世界」=「必然・偶然の世界」=「『今、ここ』の世界」=「成熟した知性の世界」=「無(限)・有(有限)を超えた世界」=「蓄積の理解の世界」の不在概念、つまり、知性の罪的側面である。
結局の処、
従来の人間社会は不在概念(映像)の世界に過ぎなかった。
新しい人間社会こそ実在(実像)の世界にしなければなりません。