第四百六十五話 無いものねだりの社会

わたしたち人間は実在するものを悪いものとして、実在するものの不在概念を好いものとする本末転倒な善悪の判断をしてしまった。
つまり、
わたしたち人間が、有るものを避けて、無いものを求めるという無いものねだりの生き方をしてきた原因は、人間社会が「オス社会」を頂点にして、「宗教と科学」と「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会」で底辺を構成するトライアングル構造の社会だったからです。
「オス社会」がそもそも有るものを避けて、無いものを求めるという無いものねだりをする社会に外ならないからです。
「宗教と科学」がそもそも有るものを避けて、無いものを求めるという無いものねだりをするものに外ならないのです。
「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会」がそもそも有るものを避けて、無いものを求めるという無いものねだりをする社会に外ならないからです。
つまり、
「オス社会」を頂点にして、「宗教と科学」と「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会」で底辺を構成するトライアングル構造の社会こそ、そもそも有るものを避けて、無いものを求めるという無いものねだりをする社会に外ならないのです。
つまり、
「この世」=「動画面の世界」=「主観の世界」=「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」=「必然の世界」=「過去・現在・未来の世界」=「未熟な知性の世界」=「有(有限)の世界」=「蓄積の概念の世界」こそ、そもそも有るものを避けて、無いものを求めるという無いものねだりをする社会に外ならないのです。