第四百六十四話 無いものねだりの生き方

わたしたち人間は実在するものを悪いものとして、実在するものの不在概念を好いものとする本末転倒な善悪の判断をしてしまった。
つまり、
「この世」=「動画面の世界」=「主観の世界」=「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」=「必然の世界」=「過去・現在・未来の世界」=「未熟な知性の世界」=「有(有限)の世界」=「蓄積の概念の世界」を、いわゆる現実の世界と信じている、わたしたち人間は無いものねだりの生き方をしてきたわけです。
平たく言えば、
有るものを避けて、無いものを求めて生きてきたわけです。
これは土台無理な話です。
病気を避けて、健康を求めて生きるのは土台無理な話です。
何故なら、
病気が実在するもので、健康は病気の不在概念に過ぎない。
にもかかわらず、
わたしたち人間は実在する病気を悪いものとして、実在する病気の不在概念である健康を好いものとする本末転倒な善悪の判断をしてしまった。
これは土台無理な無いものねだりの話です。
生と死の問題然りです。
わたしたち人間は実在する死を悪いものとして、実在する死の不在概念である生を好いものとする本末転倒な善悪の判断をしてしまった。
生れた瞬間(とき)から死ぬ瞬間(とき)まで死がつきまとっている。
これは土台無理な無いものねだりの話です。
オスとメスの問題然りです。
わたしたち人間は実在するメスを悪いものとして、実在するメスの不在概念であるオスを好いものとする本末転倒な善悪の判断をしてしまった。
子供を産むメス無しでオスなど在り得ない。
これは土台無理な無いものねだりの話です。
強と弱の問題然りです。
わたしたち人間は実在する弱を悪いものとして、実在する弱の不在概念である強を好いものとする本末転倒な善悪の判断をしてしまった。
水(弱)は岩(強)を砕く。
これは土台無理な無いものねだりの話です。
富と貧の問題然りです。
わたしたち人間は実在する貧を悪いものとして、実在する貧の不在概念である富を好いものとする本末転倒な善悪の判断をしてしまった。
蓄積の無い貧が本来の在り方。
これは土台無理な無いものねだりの話です。
神(天国・幸福)と悪魔(地獄・不幸)の問題然りです。
わたしたち人間は実在する悪魔(地獄・不幸)を悪いものとして、実在する悪魔(地獄・不幸)の不在概念である神(天国・幸福)を好いものとする本末転倒な善悪の判断をしてしまった。
悪魔(地獄・不幸)が無ければ、神(天国・幸福)など無用の長物。
これは土台無理な無いものねだりの話です。
支配者(王・国家)と被支配者(奴隷・国民)の問題然りです。
わたしたち人間は実在する被支配者(奴隷・国民)を悪いものとして、実在する被支配者(奴隷・国民)の不在概念である支配者(王・国家)を好いものとする本末転倒な善悪の判断をしてしまった。
被支配者(奴隷・国民)が無ければ、支配者(王・国家)など発生し得ない。
これは土台無理な無いものねだりの話です。
光と闇の問題然りです。
わたしたち人間は実在する闇を悪いものとして、実在する闇の不在概念である光を好いものとする本末転倒な善悪の判断をしてしまった。
闇在っての光であっても、光在っての闇は無い。
これは土台無理な無いものねだりの話です。
わたしたち人間は土台無理な無いものねだりの生き方をしてきたのです。