第四百六十一話 いわゆる現実の世界=不在概念の映像世界

実在が功的側面で、不在概念(映像)が罪的側面として表象しているのが、「二元論の世界」です。
“メスが実在で、オスはメスの不在概念”に過ぎない(実在の映像に過ぎない)「この世」=「動画面の世界」=「主観の世界」=「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」=「必然の世界」=「過去・現在・未来の世界」=「未熟な知性の世界」=「有(有限)の世界」=「蓄積の概念の世界」では、不在概念に過ぎないオスが好くて、実在するメスが悪いという善悪の判断をしてしまったわけです。
まさに、
二重の錯覚をしてしまったわけです。
だから、
わたしたち人間だけが、「オス社会」をつくったのです。
だから、
「オス社会」を構成するわたしたち人間だけが、支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会をつくったのです。
だから、
「オス社会」を構成するわたしたち人間だけが、宗教と科学をつくったのです。
だから、
「オス社会」を構成するわたしたち人間だけが、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の人生を送る羽目に陥ったのです。
だから、
「オス社会」を構成するわたしたち人間だけが、差別・不条理・戦争の社会をつくったのです。
まさに、
不在概念の世界(映像の世界)がいわゆる現実の世界と化しているのが、わたしたち人間社会なのです。