第四百六十話 男と女は別の生きもの

「知る(気づく)」と「考える」とはまったく違う次元のものだった。
「知る(気づく)」=「理解する」=「超える」=「知性の功的側面」だったのです。
「考える」=「理解できない」=「超えられない」=「知性の罪的側面」だったのです。
従って、
女性とは、「知る(気づく)」=「理解する」=「超える」=「知性の功的側面」生きものだったのです。
男性とは、「考える」=「理解できない」=「超えられない」=「知性の罪的側面」生きものだったのです。
男と女は別の生きものである所以がこの点にあります。
功的側面が本質(実在)で、罪的側面が本質(実在)の映像である点からして、女性という人間が知性ある生きものであり、男性という人間は知性の不在概念(知性のない状態)の生きものなのです。
“メスが実在で、オスはメスの不在概念”に過ぎない(実在の映像に過ぎない)所以です。
実在が功的側面で、不在概念(映像)が罪的側面として表象しているのが、「二元論の世界」である所以です。
従って、
「この世」=「動画面の世界」=「主観の世界」=「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」=「必然の世界」=「過去・現在・未来の世界」=「未熟な知性の世界」=「有(有限)の世界」=「蓄積の概念の世界」では、女性が人間で男性は人間ではなかったのです。
従って、
「この世」=「動画面の世界」=「主観の世界」=「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」=「必然の世界」=「過去・現在・未来の世界」=「未熟な知性の世界」=「有(有限)の世界」=「蓄積の概念の世界」では、女性が実在(本質=功的側面)する人間で、男性は映像(不在概念=罪的側面)の人間だったのです。
だから、
「オス社会」を構成するわたしたち人間だけが、支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会をつくったのです。
だから、
「オス社会」を構成するわたしたち人間だけが、宗教と科学をつくったのです。
だから、
「オス社会」を構成するわたしたち人間だけが、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の人生を送る羽目に陥ったのです。
だから、
「オス社会」を構成するわたしたち人間だけが、差別・不条理・戦争の社会をつくったのです。