第四百五十話 犬・猫も呆れる人間

潜在能力を100%発揮できたら、神は必要ありません。
つまり、
完全(完璧)に見ることができたら、神は必要ありません。
完全(完璧)に聞くことができたら、神は必要ありません。
完全(完璧)に匂うことができたら、神は必要ありません。
完全(完璧)に味わうことができたら、神は必要ありません。
完全(完璧)に触ることができたら、神は必要ありません。
自然社会の生きものは、完全(完璧)な一感機能を持って、潜在能力を100%発揮しているから覚醒して(悟って)います。
だから、
自然社会の生きものは神を必要としません。
わたしたち(どぶねずみ)人間だけが、不完全(中途半端)な五感機能を持って、潜在能力を100%発揮できていないから覚醒して(悟って)いないのです。
だから、
わたしたち(どぶねずみ)人間だけが神を必要とするのです。
まさに、神は必要悪に外ならない。
では必要悪とはどんなものでしょうか。
冠婚葬祭、歳暮、中元・・・といった類が必要悪の代表です。
言い換えれば、
いわゆる、“付きあい”でするものです。
みんながしているから、仕方なくするものです。
自分一人だけが仲間外れになりたくないからするものです。
要するに、脅迫観念に外なりません。
つまり、
神とは脅迫観念が生んだ産物です。
神とは人の弱みにつけ込むとんでもない代物です。
だから、
犬や猫が平気で小便を引っ掛ける神社仏閣に、わたしたち(どぶねずみ)人間は頭を下げているのです。
万物の霊長が聞いて呆れます。