第四百四十六話 達人=覚醒者(悟った人)

覚醒しているかどうか、悟っているかどうかは、宗教(神)を信じているかどうかの問題ではなく、五感のどれか一つでも完全(完璧)に発揮しているかどうかの問題である。
覚醒しているかどうか、悟っているかどうかは、座禅や瞑想や祈りをしているかどうかの問題ではなく、五感のどれか一つでも完全(完璧)に発揮しているかどうかの問題である。
覚醒しているかどうか、悟っているかどうかは、神社仏閣や教会やモスクやシナゴーグにお参りしているかどうかの問題ではなく、五感のどれか一つでも完全(完璧)に発揮しているかどうかの問題である。
覚醒しているかどうか、悟っているかどうかは、輪廻転生や死後の世界やあの世を知っているかどうかの問題ではなく、五感のどれか一つでも完全(完璧)に発揮しているかどうかの問題である。
つまり、
覚醒(悟り)は、宗教者の専売特許ではなく、五感のどれか一つでも完全(完璧)に発揮している達人の専売特許なのです。
宮本武蔵は剣の達人の境地から「五輪の書」という覚醒書を著したが、彼は宗教など糞食らえだと思っていました。
晩年は墨絵の達人にもなりましたから、彼は視力が完全(完璧)に発揮できたのでしょう。
従って、
宮本武蔵は、
完全(完璧)に見ることができたから、「覚醒する(悟る)」ことができたのでしょう。
完全(完璧)に見ることができたから、真理が見えたのでしょう。
だから、
剣の達人のみならず、絵の達人にもなれたのでしょう。
宗教者が覚醒する(悟っている)のではなく、あらゆる達人が、覚醒する(悟っている)所以です。