第四百四十五話 もういい加減目覚めよ!

完全(完璧)に見ることができたら、「覚醒する(悟る)」ことができる。
完全(完璧)に聞くことができたら、「覚醒する(悟る)」ことができる。
完全(完璧)に匂うことができたら、「覚醒する(悟る)」ことができる。
完全(完璧)に味わうことができたら、「覚醒する(悟る)」ことができる。
完全(完璧)に触ることができたら、「覚醒する(悟る)」ことができる。
完全(完璧)に見ることができたら、真理が見える。
完全(完璧)に聞くことができたら、真理が聞こえる。
完全(完璧)に匂うことができたら、真理が匂える。
完全(完璧)に味わうことができたら、真理が味わえる。
完全(完璧)に触ることができたら、真理が触れる。
結局の処、
覚醒しているかどうか、悟っているかどうかは、宗教(神)を信じているかどうかの問題ではなく、五感のどれか一つでも完全(完璧)に発揮しているかどうかの問題なのです。
覚醒しているかどうか、悟っているかどうかは、座禅や瞑想や祈りをしているかどうかの問題ではなく、五感のどれか一つでも完全(完璧)に発揮しているかどうかの問題なのです。
覚醒しているかどうか、悟っているかどうかは、神社仏閣や教会やモスクやシナゴーグにお参りしているかどうかの問題ではなく、五感のどれか一つでも完全(完璧)に発揮しているかどうかの問題なのです。
覚醒しているかどうか、悟っているかどうかは、輪廻転生や死後の世界やあの世を知っているかどうかの問題ではなく、五感のどれか一つでも完全(完璧)に発揮しているかどうかの問題なのです。
自然社会で生きる生きものはすべて一感動物ですから、覚醒しているし、悟っているのです。
わたしたち人間は不完全(中途半端)な五感動物ですから、覚醒していないし、悟っていないのです。
ペットの犬や猫でさえ、神社仏閣や教会やモスクやシナゴーグに平気で小便を引っかけても、覚醒しているし、悟っているのです。
盆、暮れ、正月に神社仏閣にお参りしても、わたしたち人間は、覚醒していないし、悟っていないのです。
だから、
過去・現在・未来に想いを馳せるのです。
だから、
『今、ここ』を生き切ることができないのです。
だから、
二重の錯覚をしてしまったのです。
だから、
オス社会をつくったのです。
だから、
支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会をつくったのです。
だから、
宗教と科学をつくったのです。
だから、
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の人生を送る羽目に陥ったのです。
だから、
差別・不条理・戦争の社会をつくったのです。
もういい加減、阿呆なことをやめるべきです。
もういい加減目覚めるべきです!