第四百四十話 五感と一感

盲聾唖という三重苦の人生であっても覚醒した「奇跡の人」ヘレン・ケラー。
五体満足な人生であっても、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれ、差別・不条理・戦争を繰り返すわたしたち(どぶねずみ)人間。
五感機能に対する常識をもういい加減見直すべきです。
五感の存在意義は、各一感にあったのです。
五感ではなくて一感だったのです。
自然社会の生きものを観察すると、彼らは五感に頼って生きているのではなくて一感に頼って生きています。
他の四感は飽くまで補助器官に過ぎないのです。
犬は嗅覚動物です。
だから、彼らは目が見えなくても、耳が聞こえなくても、苦にはしません。
嗅覚さえ完璧に機能していれば、生きるのに支障はないのです。
ところが、
わたしたち人間は、五感の一つでも障害があると他者から障害者という烙印を押されて、自分自身も障害者と思い込んで、悲劇の人生だと断定します。
この違いの原因は一体どこにあるのでしょうか。
五感と一感の違いにあるのです。
自然社会の生きものは完全(完璧)な一感機能で生きています。
人間社会の生きものは不完全(中途半端)な五感機能で生きています。
自他の区分け機能としての五感は、不完全(中途半端)な五感機能に原因があったのです。
だから、
わたしたち人間だけが、二重の錯覚をしてしまったのです。
だから、
わたしたち人間だけが、オス社会をつくったのです。
だから、
わたしたち人間だけが、支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会をつくったのです。
だから、
わたしたち人間だけが、宗教と科学をつくったのです。
だから、
わたしたち人間だけが、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の人生を送る羽目に陥ったのです。
だから、
わたしたち人間だけが、差別・不条理・戦争の社会をつくったのです。