第四百三十六話 中途半端な障害者・人間

知性の進化が、「知る能力(気づき能力)」の発達であった。
知性の退化が、「考える力」の発生であった。
言い換えれば、
「知る能力(気づき能力)」が、知性の功的側面であった。
「考える力」が、知性の罪的側面であった。
わたしたち人間は、罪的側面の知性を有した最も劣った生きものであったのです。
“人間は考える葦である”
わたしたち人間は、功的側面の知性を有した最も発達した生きものではなかったのです。
更に言い換えれば、
「知る能力(気づき能力)」とは、五感の潜在能力に外ならない。
「考える力」とは、五感の潜在不能力に外ならない。
つまり、
「知る能力(気づき能力)」が発達すればするほど、「考える力」が低下する。
「考える力」が発達すればするほど、「知る能力(気づき能力)」が低下する。
わたしたち人間の潜在能力の発揮度が20%程度まで低下した原因は、「考える力」が発達したからに外なりません。
つまり、
わたしたち人間の五感能力、つまり、視力(見る力)、聴力(聞く力)、嗅力(匂う力)、味力(味わう力)、触力(触れる力)は、20%程度しか機能していないという、中途半端な障害者なのです。
だから、
わたしたち人間だけが、オス社会をつくったのです。
だから、
わたしたち人間だけが、支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会をつくったのです。
だから、
わたしたち人間だけが、宗教と科学をつくったのです。
だから、
わたしたち人間だけが、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の人生を送る羽目に陥ったのです。
だから、
わたしたち人間だけが、差別・不条理・戦争の社会をつくったのです。