第四百二十七話 月(衛星)の時代は目覚めの時代

地球(惑星)の時代は、
「この世」=「動画面の世界」=「主観の世界」=「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」=「必然の世界」=「過去・現在・未来の世界」=「未熟な知性の世界」=「有(有限)の世界」=「蓄積の概念の世界」
を常識とした時代です。
「二元論の世界」はすべての二元要因が補完関係にあるのに、わたしたち(どぶねずみ)人間は対立関係という二重の錯覚をしてしまった。
補完関係にある二元要因は衝突(対立)しませんが、対立関係にある二元要因は必ず衝突し、結局は対消滅するのです。
言い換えれば、
「一元論の世界」→「二元論の世界」→「三元論の世界」で円回帰運動が完結するためには、「二元論の世界」の二元要因は補完関係でなければならないのです。
逆に言えば、
「二元論の世界」の二元要因が補完関係にあることを理解することこそ、「三元論の世界」への登龍門であるわけです。
ところが、
わたしたち(どぶねずみ)人間の知性が未熟なため、二元要因を対立関係と錯覚し、更に、実在するものを否定し、実在するものの不在概念(映像)を肯定するといった二重の錯覚をしてしまったのです。
その結果、
対立するものは必ず衝突して対消滅するという羽目に陥ったわけです。
その結果、
絶滅の危機を招いてしまったわけです。
補完関係にある二元要因を対立関係に錯覚した結果、
"生が好くて、死が悪い"といった錯覚をしてきたのです。
"オスが好くて、メスが悪い"といった錯覚をしてきたのです。
"善が好くて、悪が悪い"といった錯覚をしてきたのです。
"強が好くて、弱が悪い"といった錯覚をしてきたのです。
"賢が好くて、愚が悪い"といった錯覚をしてきたのです。
"富が好くて、貧が悪い"といった錯覚をしてきたのです。
"幸福が好くて、不幸が悪い"といった錯覚をしてきたのです。
"天国が好くて、地獄が悪い"といった錯覚をしてきたのです。
"神が好くて、悪魔が悪い"といった錯覚をしてきたのです。
"健康が好くて、病気が悪い"といった錯覚をしてきたのです。
"支配が好くて、被支配が悪い"といった錯覚をしてきたのです。
"光が好くて、暗闇が悪い"といった錯覚をしてきたのです。
「オス社会」を頂点にして、「宗教と科学」と「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会」で底辺を構成するトライアングル構造の社会は、まさに、二重の錯覚の産物に外ならず、その結果、「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」と「差別・不条理・戦争の世界」を生きる羽目に陥ったのです。
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖のない世界、差別・不条理・戦争のない世界を生きるためには、二重の錯覚から目覚めるしか道はないのです。