第四百二十六話 「新代」は月(衛星)の時代

宇宙は惑星の時代から衛星の時代へ最終進化する。
つまり、
「この世」=「動画面の世界」=「主観の世界」=「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」=「必然の世界」=「過去・現在・未来の世界」=「未熟な知性の世界」=「有(有限)の世界」=「蓄積の概念の世界」

「この世とあの世」=「鑑賞席のある映画館の世界」=「主観・客観の世界」=「理解の世界」=「現実の世界」=「絶対・相対の世界」=「静止・運動の世界」=「三元論の世界」=「終点の世界」=「死の世界」=「宗教を超えた世界」=「科学を超えた世界」=「神を超えた世界」=「政治を超えた世界」=「経済を超えた世界」=「歴史を超えた世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖を超えた世界」=「差別・不条理・戦争を超えた世界」=「必然・偶然の世界」=「『今、ここ』の世界」=「成熟した知性の世界」=「無(限)・有(有限)を超えた世界」=「蓄積の理解の世界」
へ最終進化する。
言い換えれば、
地球(惑星)の時代は、
「この世」=「動画面の世界」=「主観の世界」=「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」=「必然の世界」=「過去・現在・未来の世界」=「未熟な知性の世界」=「有(有限)の世界」=「蓄積の概念の世界」
を常識とした時代です。
月(衛星)の時代は、
「この世とあの世」=「鑑賞席のある映画館の世界」=「主観・客観の世界」=「理解の世界」=「現実の世界」=「絶対・相対の世界」=「静止・運動の世界」=「三元論の世界」=「終点の世界」=「死の世界」=「宗教を超えた世界」=「科学を超えた世界」=「神を超えた世界」=「政治を超えた世界」=「経済を超えた世界」=「歴史を超えた世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖を超えた世界」=「差別・不条理・戦争を超えた世界」=「必然・偶然の世界」=「『今、ここ』の世界」=「成熟した知性の世界」=「無(限)・有(有限)を超えた世界」=「蓄積の理解の世界」
を常識とした時代です。
従って、
古代、中世、近代、そして、現代と引き継いできた二十世紀までの文明社会は、地球(惑星)の時代だったと言えます。
従って、
新しい時代、「新代」である二十一世紀からの「新しい社会」は、月(衛星)の時代であると言えます。
言い換えれば、
まったく価値観の違った社会(世界)がやって来るのです。
ただし、その前に、
「この世」=「動画面の世界」=「主観の世界」=「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」=「必然の世界」=「過去・現在・未来の世界」=「未熟な知性の世界」=「有(有限)の世界」=「蓄積の概念の世界」。
はお互いに衝突して、対消滅します。
地球温暖化といった地球環境問題が噴出しているのは、まさしく、その兆候に外なりません。