第四百十四話 どぶねずみ人間の所以

わたしたち(どぶねずみ)人間が生きていると錯覚している「この世」=「動画面の世界」=「主観の世界」=「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」=「必然の世界」=「過去・現在・未来の世界」=「未熟な知性の世界」=「有(有限)の世界」=「蓄積の概念の世界」は必ず二元対立要因が衝突して対消滅する宿命を持っています。
「二元論の世界」ですから、すべての事象が二元補完要因で構成されています。
ところが、
わたしたち(どぶねずみ)人間だけが有する言葉は、すべて二元対立要因で構成されています。
わたしたち(どぶねずみ)人間が未熟な知性ゆえの錯覚です。
「二元論の世界」の二元要因は補完関係であるのに、それを対立要因と錯覚してしまったわけです。
二元補完要因の二元とは、「実在」と「映像」の二元です。
唯一実在するものと、それを投影する映像で構成されているのが「二元論の世界」なのです。
ところが、
わたしたち(どぶねずみ)人間は、何を血迷ったか、「実在」するものを否定的な意味の言葉にして、「映像」を肯定的な意味の言葉にしてしまったのです。
わたしたち(どぶねずみ)人間が未熟な知性ゆえです。
つまり、
二元補完要因を二元対立要因と錯覚した。
「実在」するものを否定的な意味の言葉にして、「映像」を肯定的な意味の言葉にするという錯覚をした。
この二重の錯覚ゆえ、わたしたち人間は未熟な知性のどぶねずみ人間と化したのです。
その結果、
“生が好くて、死が悪い”といった錯覚をしてきたのです。
“オスが好くて、メスが悪い”といった錯覚をしてきたのです。
“善が好くて、悪が悪い”といった錯覚をしてきたのです。
“強が好くて、弱が悪い”といった錯覚をしてきたのです。
“賢が好くて、愚が悪い”といった錯覚をしてきたのです。
“富が好くて、貧が悪い”といった錯覚をしてきたのです。
“幸福が好くて、不幸が悪い”といった錯覚をしてきたのです。
“天国が好くて、地獄が悪い”といった錯覚をしてきたのです。
“神が好くて、悪魔が悪い”といった錯覚をしてきたのです。
“健康が好くて、病気が悪い”といった錯覚をしてきたのです。
“支配が好くて、被支配が悪い”といった錯覚をしてきたのです。
“光が好くて、暗闇が悪い”といった錯覚をしてきたのです。
ところが、
対立する二元要因は必ず衝突して対消滅する宿命を持っているのです。
従って、
わたしたち(どぶねずみ)人間が生きていると錯覚している「この世」=「動画面の世界」=「主観の世界」=「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」=「必然の世界」=「過去・現在・未来の世界」=「未熟な知性の世界」=「有(有限)の世界」=「蓄積の概念の世界」は必ず二元対立要因が衝突して対消滅する宿命を持っています。