第四百十三話 「生きる」と「死ぬ」の意味

対立する者は必ず対消滅する。
「運動の世界」の法則(掟)です。
「運動の世界」で生きていると錯覚している限り、対消滅という法則(掟)から逃れることはできません。
マクロ宇宙からミクロ宇宙を貫く法則として「円回帰運動」があります。
絶対静止宇宙から相対運動宇宙を貫く法則が「円回帰運動」です。
無限宇宙から有限宇宙を貫く法則が「円回帰運動」です。
つまり、
始点から始まって、円周を描いて(映像を映して)、終点に帰る。
つまり、
「始点の世界」→「円周の世界」→「終点の世界」です。
つまり、
「あの世」=「静止画フィルムの世界」=「客観の世界」=「観念の世界」=「実在の世界」=「絶対の世界」=「静止の世界」=「一元論の世界」=「始点の世界」=「誕生の世界」=「宗教のない世界」=「科学のない世界」=「神のない世界」=「政治のない世界」=「経済のない世界」=「歴史のない世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖のない世界」=「差別・不条理・戦争のない世界」=「偶然の世界」=「『今』の世界」=「知性のない世界」=「無(無限)の世界」=「蓄積の観念の世界」

「この世」=「動画面の世界」=「主観の世界」=「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」=「必然の世界」=「過去・現在・未来の世界」=「未熟な知性の世界」=「有(有限)の世界」=「蓄積の概念の世界」

「この世とあの世」=「鑑賞席のある映画館の世界」=「主観・客観の世界」=「理解の世界」=「現実の世界」=「絶対・相対の世界」=「静止・運動の世界」=「三元論の世界」=「終点の世界」=「死の世界」=「宗教を超えた世界」=「科学を超えた世界」=「神を超えた世界」=「政治を超えた世界」=「経済を超えた世界」=「歴史を超えた世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖を超えた世界」=「差別・不条理・戦争を超えた世界」=「必然・偶然の世界」=「『今、ここ』の世界」=「成熟した知性の世界」=「無(限)・有(有限)を超えた世界」=「蓄積の理解の世界」です。
つまり、
「始点」は「円周」を経て必ず「終点」に帰り、円は完結する(始点と終点は対消滅して円周も消滅する)
言い換えれば、
「誕生」したものは「生」を経て必ず「死」に帰り、円(一生)は完結する(「誕生」と「死」は対消滅して「生」も消滅する)
わたしたち人間にとっての「生きる」とは、「円周」という映像であり、「死ぬ」とは、「誕生」と「死」の対消滅の結果の映像の消滅なのです。