第二百九十九話 四苦八苦は映像

“・・・が好くて、・・・が悪い”という「好いとこ取りの・・・相対一元論」が悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖を生み、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖が差別・不条理・戦争を繰り返させる。
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖とは肉体および精神の苦痛に外ならない。
肉体の苦痛、精神の苦痛は、“・・・が好くて、・・・が悪い”という「好いとこ取りの・・・相対一元論」という分裂症の為せる業です。
苦痛は分裂症によって惹き起こされます。
一瞬の肉体の痛みは苦痛ではありません。
一瞬の精神の痛み、つまり、単一の想いの痛みは苦痛ではありません。
『今、ここ』の痛みは苦痛ではありません。
継続する痛みが苦痛の正体です。
継続する肉体の痛みが苦痛の正体です。
継続する精神の痛み、つまり、連想の痛みが苦痛の正体です。
『過去・現在・未来』に馳せる連想の痛みが苦痛の正体です。
従って、
苦痛も努力の一種です。
苦痛も継続するという努力が必要となる。
努力とは継続するということです。
痛みを我慢することを努力するというのは、その痛みが継続するからです。
一瞬の痛みには我慢がともなわない。
そして、努力は必ず報われる。
痛みも耐えきれないほど続き、我慢という努力をすると、気を失うということで、痛みから解放される。
一瞬の痛みこそが、『今、ここ』の一瞥です。
継続の痛み、つまり、苦痛こそが、『過去・現在・未来』へ想いを馳せることです。
静止画フィルムが一瞬の痛みです。
動画面が継続する苦痛です。
鑑賞者が本当の自分です。
鑑賞者であることを自覚すれば、継続する苦痛は、所詮は映画(映像)であることに気づきます。
自己客観視すれば、継続の痛みである苦痛、つまり、『過去・現在・未来』へ想いを馳せることとは無縁になります。
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖という肉体の苦痛、精神の苦痛も、差別・不条理・戦争という肉体の苦痛、精神の苦痛も、所詮は映画(映像)に過ぎないのです。