第二百九十四話 「二元論の世界」は「映像の世界」の証明

「二元論の世界」とは、「一元論の世界」の二つの現象を映し出した「映像の世界」である証明に外ならない。
言い換えれば、
一枚のコインが「一元論の世界」であり、一枚のコインの表面と裏面が「二元論の世界」です。
実在するのは飽くまで一枚のコイン、つまり、「一元論の世界」であり、その表面と裏面、つまり、「二元論の世界」は一枚のコインの二つの現象、つまり、「映像の世界」であり実在するものではありません。
現に、表面にせよ、裏面にせよ、消すこともできるし、描き換えることもできますが、一枚のコインの質に変わりはありません。
金のコインが銀のコインに変わるわけではないし、銀のコインが金のコインに変わるわけでもありません。
実在するものは変化しません、つまり、静止している。
実在しないもの(映像)は変化します、つまり、運動している。
つまり、
「この世」=「動画面の世界」=「主観の世界」=「概念の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」=「必然の世界」は常に変化する、実在しない「映像の世界」の証明です。