第二百九十二話 わたしたち人間の使命

わたしたち人間だけは、他の生きものと違って、万物の霊長という特別な存在であるが、そもそも罪深き生きものであると主張するのが宗教です。
わたしたち人間も、他の生きものと同じ動物の一種であって、最も弱き生きものだったのが、最も強き生きものに必然と偶然の妙で進化した生きものに過ぎず、そもそも罪深き生きものなどでは決してないと主張するのが新田哲学です。
ところが、他の生きものが生きている自然社会から逸脱して、悪意の人間社会をつくってしまい、挙句の果てに、自然社会(地球)にまで悪影響を与える存在になり果ててしまったのは紛れもない事実です。
最も進化した生きものであると同時に、最も退化した生きものでもあるということなのでしょう。
先ずそのことに、当のわたしたち人間が気づかなければなりません。
言い換えれば、
わたしたち人間が、最も振幅の激しい(大きい)運動をする振り子なのだということです。
これはどう意味か?
円回帰運動の完結に最も近い生きものであるということなのです。
つまり、
「三つの世界」に最も近づいているのが、現代社会に生きるわたしたち人間だということなのです。
「あの世」=「静止画フィルムの世界」=「客観の世界」=「観念の世界」=「実在の世界」=「絶対の世界」=「静止の世界」=「一元論の世界」=「始点の世界」=「誕生の世界」=「宗教のない世界」=「科学のない世界」=「神のない世界」=「政治のない世界」=「経済のない世界」=「歴史のない世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖のない世界」=「差別・不条理・戦争のない世界」=「偶然の世界」

「この世」=「動画面の世界」=「主観の世界」=「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」=「必然の世界」

「この世とあの世」=「鑑賞席のある映画館の世界」=「主観・客観の世界」=「理解の世界」=「現実の世界」=「絶対・相対の世界」=「静止・運動の世界」=「三元論の世界」=「終点の世界」=「死の世界」=「宗教を超えた世界」=「科学を超えた世界」=「神を超えた世界」=「政治を超えた世界」=「経済を超えた世界」=「歴史を超えた世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖を超えた世界」=「差別・不条理・戦争を超えた世界」=「必然・偶然の世界」
に到達することで円回帰運動を完結できる可能性を最も有している生きものであることを自覚することが、現代社会に生きるわたしたち人間の使命なのです。