第二百八十九話 「エデンの東」とは人間社会のこと

悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の問題を解決したいなら、死ぬしか方法はない。
つまり、
生きていて、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の解決方法など一切ない。
解決しようと思わずに、超えようとすることです。
そのためには、先ず、自分のいる場所を理解することです。
わたしたち人間(どぶねずみ人間)だけは、
「この世」=「動画面の世界」=「主観の世界」=「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」=「必然の世界」=「過去・現在・未来の世界」
にいると思っていますが、実は、他の生きものと同じように、
「あの世」=「静止画フィルムの世界」=「客観の世界」=「観念の世界」=「実在の世界」=「絶対の世界」=「静止の世界」=「一元論の世界」=「始点の世界」=「誕生の世界」=「宗教のない世界」=「科学のない世界」=「神のない世界」=「政治のない世界」=「経済のない世界」=「歴史のない世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖のない世界」=「差別・不条理・戦争のない世界」=「偶然の世界」=「『今』の世界」
にいます。
つまり、
「二つの世界」=「『在り方』と『考え方』の二つの世界」=「部分観の世界」=「分裂症の世界」に生きているのです。
他の生きものは、「一つの世界」=「『在り方』の世界」=「全体感の世界」=「非分裂症の世界」に生きています。
人類の祖先が「エデンの園」から追放された(実は自ら出ていった)意味がここにあります。
「エデンの園」から追放された(実は自ら出ていった)わたしたち人間の祖先である人類が向かった世界、つまり、人間社会とはエデンの東にある「ノド」という町であって、「エデンの園」に二度と戻ることはできません。
つまり、
「この世」=「動画面の世界」=「主観の世界」=「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」=「必然の世界」=「過去・現在・未来の世界」
とは、エデンの東にある「ノド」という町に外ならないのです。
生きていて、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の解決方法など一切ない、という意味に外なりません。
解決しようと思わずに、超えようとすることの意味は、エデンの東からエデンの西に行くことです。
つまり、
「この世とあの世」=「鑑賞席のある映画館の世界」=「主観・客観の世界」=「理解の世界」=「現実の世界」=「絶対・相対の世界」=「静止・運動の世界」=「三元論の世界」=「終点の世界」=「死の世界」=「宗教を超えた世界」=「科学を超えた世界」=「神を超えた世界」=「政治を超えた世界」=「経済を超えた世界」=「歴史を超えた世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖を超えた世界」=「差別・不条理・戦争を超えた世界」=「必然・偶然の世界」=「『今、ここ』の世界」
という「エデンの西」に到達するしかないのです。
「理解の世界」=「超の世界」=「エデンの西」に到達するしかないのです。
拙著「ヤングアメリカ(エデンの西)」は、そんな想いから書き上げた小説なのです。