第二百八十八話 わたしたちは何処にいる?

『今』と『現在』の決定的な違いは、『現在』は『過去』と『未来』に繋がった水平時間、つまり、空間(景色)であるのに対して、『今』は『過去』や『未来』と一切無縁の垂直時間であることです。
言い換えれば、
『現在』は『過去』にも繋がっている、つまり、『過去』の一部でもあり、『未来』にも繋がっている、つまり、『未来』の一部でもあるのに対して、『今』は『過去』にも『未来』にも繋がっていない、つまり、『過去』の一部でも、『未来』の一部でもない、まったく、別世界のものなのです。
これは大きな違いであるのに、わたしたちは『今』と『現在』を同じだと勘違いしているから、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の人生を送る羽目に陥っているのです。
わたしたちがいる場所は、『今』という名の汽車(地球)であって、窓外の『現在』という景色の中にいるのではありません。
つまり、
わたしたちは、『過去』や『未来』、またそれらと繋がっている『現在』とは、まったく関わりのない『今』の世界にいるのに、『過去・現在・未来』に思いを馳せて生きているのです。
映画館で映画を鑑賞しているのに、映画の中に出演していると錯覚しているのとまるで同じです。
夢を観ているのに、夢の中に登場していると錯覚しているのとまるで同じです。
映画や夢を観て一喜一憂する、つまり、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の人生を送る羽目に陥っているのです。
『今』という汽車の中にいる自分が、汽車の窓外で展開されている『過去・現在・未来』という景色を観て一喜一憂しているだけです。
『今』という汽車の中の自分のいる場所である『今、ここ』をどうこうすることは出来ますが、汽車の窓外の出来事をどうこうすることは不可能です。
それを、どうこうしようとするのですから、これは無理な話です。
どうしても、どうこうしようとするなら、『今』という汽車から降りるしかない。
つまり、
死ぬしかないのです。
平たく言えば、
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の問題を解決したいなら、死ぬしか方法はないのです。
解決方法など一切ない。
自分のいる場所を理解することです。