第二百八十七話 『今』と『現在』の違い

『過去・現在・未来』という「時間の概念」を持ってしまったわたしたち人間は、他の生きもののように、朝・昼・夜、春・夏・秋・冬という「時間の観念」を持って生きることを忘れてしまった結果、本当の時間である『今』を忘れ、代わりに『現在』という概念と入れ替えてしまった。
『今』という時間(虚時間)と、『現在』という時間(実時間)は一見同じように思いますが、まったく違う質の時間です。
厳密に言えば、
『今』という時間(虚時間)が本当の時間であって、『現在』という時間(実時間)は空間(景色)なのです。
「時間」と「空間」の違いは、「運動」と「静止」の違いに外なりません。
「時間」というものは運動する(流れる)ものであり、「空間」というものは静止しているものです。
運動する(流れる)「時間」とは、地球固有の自転・公転に基づく運動に外ならず、それが朝・昼・夜、春・夏・秋・冬という「時間の観念」に外なりません。
ただ、自転・公転している地球の上で生活している者にとっては、汽車に乗っている者と同じ感覚に陥ってしまい、汽車(地球)が動いているのに、自分は止まっている錯覚になります。
その原因は、窓外の景色が動いているように見える錯覚の為せる業に因るからです。
つまり、
「時間(地球という汽車に乗っている自分)」が運動していて、「空間(景色)」が静止しているのに、「時間(地球という汽車に乗っている自分)」が静止していて、「空間(景色)」が運動しているように見えるのです。
運動している(流れている)ものが「時間」の本質であって、静止しているものが「空間」の本質ですから、静止していると思っている「時間(地球という汽車に乗っている自分)」が「空間」であって、運動していると思っている景色が時間と勘違いしてしまったわけです。
静止していると思っている「時間(地球という汽車に乗っている自分)」という「空間」こそが、『今』という汽車(地球)に乗っている自分の居場所である『ここ』の『今、ここ』であります。
運動していると思っている景色こそが、『過去・現在・未来』という時間(実時間)であります。
『今』は地球という汽車。
『現在』は景色の一部。
わたしたち人間は、『現在』という景色(汽車の外)に居るのではなく、『今』という時間(地球)の上に居ることを忘れてしまっているのです。
『今』こそが自分の居場所であって、『現在』に居るのでないのです。