第二百八十六話 『今』と『過去・現在・未来』と『今、ここ』

三つの世界には、それぞれの時間がある。
「観念の世界」には、『今』という虚時間がある。
「概念の世界」には、『過去・現在・未来』という実時間がある。
「理解の世界」には、『今、ここ』という虚時間と実時間の交差点の時間がある。
わたしたち人間社会だけにあるのが、『過去・現在・未来』という時間ですから、実時間と呼んでいるだけで、実は時間ではなく、空間に外ならないことは以前に話をしました。
空間だから、水平時間とも呼んでいるわけです。
空間は水平に展開しているからです。
時間というものの本質は、空間に対して直角の方向にあります。
線という一次元に対して、平面という二次元の要素である巾は線に対して直角方向にあり、平面という二次元に対して、立体(空間)という三次元の要素である高さは平面に対して直角にあり、立体(空間)という三次元に対して、時空間という四次元の要素である時間は立体(空間)に対して直角にあるからです。
従って、
水平方向にある空間(立体)に対して、垂直方向にある時間とは、『今』という虚時間に外ならないのです。
従って、
本当の時間とは、実時間の『過去・現在・未来』ではなくて、虚時間の『今』なのです。
「観念の世界」で生きている他の生きものたちが持っている「時間の観念」とは『今』という虚時間しかありません。
『今』という虚時間は、朝・昼・夜という一日と春・夏・秋・冬という一年しかなく、それは地球が持つ固有の時間、つまり、自転周期と公転周期に外ならないのです。
他の生きものたちが持っている「時間の観念」とは、朝・昼・夜と春・夏・秋・冬を繰り返す時間であり、これが本当の時間なのです。
一方、
「概念の世界」で生きているわたしたち人間が持っている「時間の概念」とは、1秒、1分、1時間、1日、1週間、1ヶ月、1年を単位とした前後の『過去・現在・未来』という、実は空間(景色)に外ならないのです。
わたしたち人間が目差すべき「理解の世界」にある「時間の理解」とは、「時間の観念」である『今』という本当の時間と、「時間の概念」である『過去・現在・未来』という空間(景色)の交差点である『今、ここ』に外なりません。
地球上に存在しているものは、地球も含めて、『今』という名の時間の汽車に乗って一生という旅をしている。
『今』という名の時間の汽車の窓外に観える景色(空間)こそが、『過去・現在・未来』という実時間に外ならない。
一公転=365.25自転という地球固有の「時間の観念」で運動している『今」という時間の名の汽車に乗っている、わたしたち人間だけが、窓外の『過去・現在・未来』という空間(景色)を観ているために、『過去・現在・未来』という景色(空間)が運動していて、自分は静止していると思い込んでいる。
運動している『今』という汽車の中の静止している『ここ』という場所こそ、自分が存在している場所、『今、ここ』に外なりません。