第二百八十五話 三つの時間

「この世」と「あの世」の関係を新田哲学流に言えば、
「あの世」=「静止画フィルムの世界」=「客観の世界」=「観念の世界」=「実在の世界」=「絶対の世界」=「静止の世界」=「一元論の世界」=「始点の世界」=「誕生の世界」=「宗教のない世界」=「科学のない世界」=「神のない世界」=「政治のない世界」=「経済のない世界」=「歴史のない世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖のない世界」=「差別・不条理・戦争のない世界」=「偶然の世界」。
「この世」=「動画面の世界」=「主観の世界」=「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」=「必然の世界」。
「この世とあの世」=「鑑賞席のある映画館の世界」=「主観・客観の世界」=「理解の世界」=「現実の世界」=「絶対・相対の世界」=「静止・運動の世界」=「三元論の世界」=「終点の世界」=「死の世界」=「宗教を超えた世界」=「科学を超えた世界」=「神を超えた世界」=「政治を超えた世界」=「経済を超えた世界」=「歴史を超えた世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖を超えた世界」=「差別・不条理・戦争を超えた世界」=「必然・偶然の世界」。
です。
「あの世」の映像が「この世」であって、「この世」が生きている世界、「あの世」が死後の世界などでは決してありません。
わたしたち人間は、「この世」に生きているのではなくて、「あの世」に生きているのであって、「この世」は「あの世」の動画面(アニメーション)に過ぎず、「この世とあの世」は鑑賞席のある映画館に外なりません。
平たく言えば、
「あの世」が『今』の世界
つまり、
「時間のない世界(虚時間の世界)」=「静止の世界」=「実在の世界」
「この世」が『過去・現在・未来』の世界
つまり、
「時間のある世界(実時間の世界)」=「運動の世界」=「映像の世界」
「この世とあの世」=『今、ここ』の世界
つまり、
「実時間と虚時間の交差点の世界」=「静止・運動の世界」=「現実の世界」
時間には実時間(『過去・現在・未来』という水平時間)と虚時間(『今』という垂直時間)と実時間と虚時間の交差点の『今、ここ』という三つの時間があるのです。