第二百七十九話 必然性の罪

“心・魂・意識・精神・霊”といった“自分が・・・”と思う自我意識(エゴ)があるから、必然性が起こる。
必然は、部分観の世界に起こる所以です。
“心・魂・意識・精神・霊”といった“自分が・・・”と思う自我意識(エゴ)がなくなると、偶然性が起こる。
偶然は、全体感の世界に起こる所以です。
つまり、
必然とは意志が働くことであり、偶然とは意志が働かないことに外ならないのです。
つまり、
意志とは部分観に外ならない。
つまり、
“心・魂・意識・精神・霊”とは部分観に外ならない。
つまり、
“心・魂・意識・精神・霊”とは映像に外ならない。
映像は消える運命にあるものです。
夢は永遠に続かないように、映画は永遠に続かないように、“心・魂・意識・精神・霊”は永遠に続かないのです。
わたしたち人間が、“肉体は死んでも、魂は永遠にある”という錯覚に陥っているのは、「映像の世界」を「現実の世界」だと勘違いしているからです。
“心・魂・意識・精神・霊”という映像を実在するものと勘違いしているからです。
映画館で観る映画を現実だと勘違いしているからです。
眠りの中の夢という映画を現実だと勘違いしているからです。
現実だと思い込んでいた眠りの中の夢が、目が覚めることによって、現実ではない単なる夢という映画に過ぎなかったことを毎日経験しているのに、現実だと思い込んでいる目の前に広がる世界が映像であることに気づかないのは、“心・魂・意識・精神・霊”という映像を実在するものと勘違いしているからです。
“肉体は死んでも、魂は永遠にある”という輪廻転生説を信じている限り、わたしたち人間社会は、
「主観の世界」=「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」から脱却して、
「主観・客観の世界」=「理解の世界」=「現実の世界」=「絶対・相対の世界」=「静止・運動の世界」=「三元論の世界」=「終点の世界」=「死の世界」=「宗教を超えた世界」=「科学を超えた世界」=「神を超えた世界」=「政治を超えた世界」=「経済を超えた世界」=「歴史を超えた世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖を超えた世界」=「差別・不条理・戦争を超えた世界」に移行することはできません。