第二百七十八話 不確定の世界

必然は、部分観の世界に起こることです。
偶然は、全体感の世界に起こることです。
従って、
「全体と部分の相対性の法則」に則して存在しているすべてのものは、必然と偶然の妙で存在しているのです。
太陽が全体であり、地球が部分である太陽系では、部分である地球が自転と公転という運動をしている存在であり、全体である太陽は中心で静止している存在と捉えています。
つまり、
部分である地球が自ら運動する、つまり、必然の存在であり、全体である太陽は中心で静止している、つまり、偶然の存在である。
ところが、
アルシオーネが全体であり、太陽が部分であるスバル座系では、部分である太陽が自転と公転という運動をしている存在であり、全体であるアルシオーネは中心で静止している存在と捉えられています。
つまり、
部分である太陽が自ら運動する、つまり、必然の存在であり、全体であるアルシオーネは中心で静止している、つまり、偶然の存在である。
全体であり、部分でもある。
偶然であり、必然でもある。
「静止・運動の世界」では、すべてのものが、必然と偶然の妙で成立している。
つまり、
「主観・客観の世界」=「理解の世界」=「現実の世界」=「絶対・相対の世界」=「静止・運動の世界」=「三元論の世界」=「終点の世界」=「死の世界」=「宗教を超えた世界」=「科学を超えた世界」=「神を超えた世界」=「政治を超えた世界」=「経済を超えた世界」=「歴史を超えた世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖を超えた世界」=「差別・不条理・戦争を超えた世界」は、必然と偶然の妙による不確定の世界なのです。