第二百七十二話 理屈(「考え方」)の人間社会 V.S 真理(「在り方)」の自然社会

“心・魂・意識・精神・霊”を自分だと思い込んでいるわたしたち人間は、一から十まで悉く間違った考え方をしています。
自我意識(エゴ)、つまり、ニセモノの自分こそが、“心・魂・意識・精神・霊”の正体であるのですから、一から十まで悉く間違った考え方をしているのは当たり前です。
100%正しいか、100%間違っているか、という考え方をするのですから、一から十まで悉く間違った考え方をしているのは当たり前です。
すべてのことを、“好いか、悪いか”で捉える。
“All or Nothing”の「是否論」が、「考え方」に外ならないわけです。
「在り方」は33.3%正しく、66.6%間違っている、つまり、どんな事柄でも、“好いところもあれば、悪いところもある”。
言い換えれば、
好い=悪い
好き=嫌い
これは、「考え方」では理解不可能な話です。
つまり、
理屈では理解不可能な話です。
しかし、
これが真理なのです。
これが「現実(Reality)」なのです。
そうしますと、わたしたち人間が当たり前のことだと信じて止まない、“生が好くて、死が悪い”を筆頭に、“オスが好くて、メスが悪い”、“善が好くて、悪が悪い”、“強が好くて、弱が悪い”、“賢が好くて、愚が悪い”、“富が好くて、貧が悪い”、“幸福が好くて、不幸が悪い”、“天国が好くて、地獄が悪い”、“神が好くて、悪魔が悪い”、“健康が好くて、病気が悪い”、“支配が好くて、被支配が悪い”、“光が好くて、暗闇が悪い”、といった考え方は悉く間違っている。
この「考え方」を金科玉条の如く信じ込んでいる限り、人間社会から、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖はなくなりません。
この「考え方」を金科玉条の如く信じ込んでいる限り、人間社会から、支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別制度はなくなりません。
従って、
この「考え方」を金科玉条の如く信じ込んでいる限り、人間社会から、差別・不条理・戦争はなくなりません。