第二百七十一話 人間は間違いの動物

わたしたち人間は、一から十まで悉く間違った「考え方」をしています。
真理というものをまるでわかっていない。
真理とは「在り方」であって、「考え方」は悉く間違っている。
真理とは『今、ここ』であって、「考え方」は過去・現在・未来を指向している。
こうやって、お話をしていることも、所詮は「考え方」であって、真理ではない。
ただ真理の一瞥を伝えるための「考え方」をお話しているわけですから、一から十まで真に受けてはいけません。
真理を言葉にすると、必ず、矛盾が生じます。
逆に言えば、
真理は常に矛盾性を内包しています。
一貫している話(「考え方」)は、真理ではありません。
一貫している話(「考え方」)は、哲学の思想や宗教の教義に過ぎません。
第百八十九話でお話しましたように、
新田哲学では33.3%の真理だと言っています。
新田哲学の根幹に「三の法則」というものがあります。
(1) 二元論
(2) 全体と部分の相対性の法則
(3) 在り方と考え方
この三つの法則の中でそれぞれ共有項が一つ、固有項が二つずつあるため、真理(共有項)といえども、所詮は、1/3、つまり、33.3%でしかあり得ないわけです。
結局の処、
わたしたちが生きている運動世界(運動宇宙)では、真理といえども、100%の真理などあり得ず、精々、33.3%の真理に過ぎないのです。
平たく言えば、
どんな出来事(事象)でも、絶対に100%正しいことも、絶対に100%正しくないことも無いのです。
そんな「考え方」は、所詮、「是否論」なのです。
どんな出来事(事象)でも、33.3%正しく、66.6%正しくないのです。
それが「超論」です。
言い換えれば、
わたしたち人間が、言葉を使っている限りは、それが日本語であろうが、英語であろうが、それらは「考え方」に過ぎませんから、必ず、“好いか、悪いか”の「是否論」になります。
「是否論」は、一方が100%正しくて、他方は100%間違っているという、いわゆる、“All or Nothing”ですから、これは悉く間違っているわけです。
なぜなら、どんな出来事(事象)でも、33.3%正しく、66.6%正しくないのですから。
「考え方」というのは、連想に外ならず、連想とは、一つ一つの「想い」が連なったものであり、一つ一つの「想い」とは、一つ一つの文章、つまり、言葉に外なりません。
“心・魂・意識・精神・霊”とは連想に外ならないと以前お話しました。
従って、
“心・魂・意識・精神・霊”というものは、所詮、 一方が100%正しくて、他方は100%間違っているという、「是否論」の「考え方」に過ぎないのですから、これは悉く間違っているわけです。
従って、
“心・魂・意識・精神・霊”を自分だと思い込んでいるわたしたち人間は、一から十まで悉く間違った考え方をしています。